長崎四国八十八ヶ所霊場
2011年06月30日
奥山地区をちょっとさるきました
ちょっと古本を探しに東長崎の「ブックオフ」に行った帰りに本河内の奥山地区に寄りました・・・新書や文庫本やムックなどは量があり値段も安いブックオフやブックマーケットが便利なんですが長崎近郊だと道ノ尾か東長崎のブックオフしか無いのでちょっと不便ですね、それこそ浜町の空いている店舗に入ってくれるといいのにね^^;
ここは行く途中に寄り道した「長崎四国八十八ヶ所霊場」の第72番霊場である「朝日山 水の平大師堂」、春に芒塚の桜を見に来たときにすぐそばにあったこの大師堂を見逃していたのでちょっと寄ったのです。
日見バイパスを通る人は多いでしょうが「本河内トンネル」と「新日見トンネル」の間にある交差点から奥山地区に向かう人はほとんどいないでしょう。
長崎大水害の時には最も被害が大きかった地域でニュースで毎日のように「奥山地区」という名前が出ていましたが、長崎大水害から30年近く経った現在では若い人は「奥山地区」と言われても何のことかわからないかもしれませんね。
奥山地区に下りると当然のことながら目の前に本河内高部水源地が広がります・・・私たちの世代は小学校のときに本河内高部水源地は上水道の水源確保のために日本で最初に作られたダムだということを習いましたが今も教わっているのかな? 何故か長崎では「ダム」という呼び方をしなくてみんな水源地と言いますね(^^)
水源地のほとりに建つ「山大神」という神社ですが「大山津見神社」ともいうそうで明治43年に当時の長崎市水道課水源地主任の井上人八氏がお祀りしたものだそうです。
そこからちょっと奥にいったところにあるのがバス停の名前にもなっている曹洞宗の寺院「瑠璃光山妙相禅寺」ですが秋の紅葉の時期はかなりきれいだと言う話です・・・無論ここも長崎大水害の時には甚大な被害を蒙ってています
ちなみにここは長崎四国八十八ヶ所霊場の35番霊場で次の「杉田阿弥陀堂」が57番霊場ですから近々「長崎ぶらぶら」にアップする予定です。
ここが妙相寺からちょっと上がったところにある「秋葉山杉田阿弥陀堂」ですがご本尊はこの建物の隣にあります。
水源地沿いに歩いていると鳥居の行列! 白髭稲荷大明神ですって、さぞかし長い階段が続いているのかと思ったらさほどでもありませんでした。
いつもは上から見る本河内高部水源地ですがこっちから見ることはほとんどありませんね。
ここは行く途中に寄り道した「長崎四国八十八ヶ所霊場」の第72番霊場である「朝日山 水の平大師堂」、春に芒塚の桜を見に来たときにすぐそばにあったこの大師堂を見逃していたのでちょっと寄ったのです。
日見バイパスを通る人は多いでしょうが「本河内トンネル」と「新日見トンネル」の間にある交差点から奥山地区に向かう人はほとんどいないでしょう。
長崎大水害の時には最も被害が大きかった地域でニュースで毎日のように「奥山地区」という名前が出ていましたが、長崎大水害から30年近く経った現在では若い人は「奥山地区」と言われても何のことかわからないかもしれませんね。
奥山地区に下りると当然のことながら目の前に本河内高部水源地が広がります・・・私たちの世代は小学校のときに本河内高部水源地は上水道の水源確保のために日本で最初に作られたダムだということを習いましたが今も教わっているのかな? 何故か長崎では「ダム」という呼び方をしなくてみんな水源地と言いますね(^^)
水源地のほとりに建つ「山大神」という神社ですが「大山津見神社」ともいうそうで明治43年に当時の長崎市水道課水源地主任の井上人八氏がお祀りしたものだそうです。
そこからちょっと奥にいったところにあるのがバス停の名前にもなっている曹洞宗の寺院「瑠璃光山妙相禅寺」ですが秋の紅葉の時期はかなりきれいだと言う話です・・・無論ここも長崎大水害の時には甚大な被害を蒙ってています
ちなみにここは長崎四国八十八ヶ所霊場の35番霊場で次の「杉田阿弥陀堂」が57番霊場ですから近々「長崎ぶらぶら」にアップする予定です。
ここが妙相寺からちょっと上がったところにある「秋葉山杉田阿弥陀堂」ですがご本尊はこの建物の隣にあります。
水源地沿いに歩いていると鳥居の行列! 白髭稲荷大明神ですって、さぞかし長い階段が続いているのかと思ったらさほどでもありませんでした。
いつもは上から見る本河内高部水源地ですがこっちから見ることはほとんどありませんね。
2011年06月19日
茂木からの帰り道
茂木ネタが続きます^^;
ここは帰る途中に寄った「長崎四国八十八ヶ所霊場」の第20番札所である真言念仏宗の寺院「白雲顕山 蓮聖院」(詳しくは長崎ぶらぶらで)ですが
ここには以前書いたかつての33番霊場「飽の浦大師堂」のご本尊や仏像たちが移設されているのです。
田上からは急に開けてきますね、愛宕の方に下ると「長崎スポーツセンター」が見えてきます。県内唯一のアイススケート場が閉鎖になって1年以上たちますがボウリング場など他の施設は稼動しているのかな?ここの1階にあったスーパーも無くなって新しい店舗は入ってないし・・・
この道沿いにはコンビニが増えましたね、以前は駐車場が無くて困ったものですがほとんどのコンビニが駐車場完備で出店しているのですからちょっと信じられません。
長崎駅前のドコモのビルにあった親和銀行の後に「ローソン」が出来ていました!野菜や果物も販売しているんですって
そういえば先日通った市役所通りの「桜町小学校」の隣にもローソンができていましたね・・・以前はサンウェーブのショールームがありましたが「LIXIL長崎」に統合してショールームも多良見に引っ越したのかな?
このローソンも「野菜・果物」を揃えているみたいですが近くの小さな商店は大変でしょうね。
次回はローソン見学を兼ねて長崎駅前をさるく予定です。
ここは帰る途中に寄った「長崎四国八十八ヶ所霊場」の第20番札所である真言念仏宗の寺院「白雲顕山 蓮聖院」(詳しくは長崎ぶらぶらで)ですが
ここには以前書いたかつての33番霊場「飽の浦大師堂」のご本尊や仏像たちが移設されているのです。
田上からは急に開けてきますね、愛宕の方に下ると「長崎スポーツセンター」が見えてきます。県内唯一のアイススケート場が閉鎖になって1年以上たちますがボウリング場など他の施設は稼動しているのかな?ここの1階にあったスーパーも無くなって新しい店舗は入ってないし・・・
この道沿いにはコンビニが増えましたね、以前は駐車場が無くて困ったものですがほとんどのコンビニが駐車場完備で出店しているのですからちょっと信じられません。
長崎駅前のドコモのビルにあった親和銀行の後に「ローソン」が出来ていました!野菜や果物も販売しているんですって
そういえば先日通った市役所通りの「桜町小学校」の隣にもローソンができていましたね・・・以前はサンウェーブのショールームがありましたが「LIXIL長崎」に統合してショールームも多良見に引っ越したのかな?
このローソンも「野菜・果物」を揃えているみたいですが近くの小さな商店は大変でしょうね。
次回はローソン見学を兼ねて長崎駅前をさるく予定です。
2011年06月10日
本河内付近をさるきました
伊良林から矢の平をさるいた後、今回のメインである本河内1丁目から2丁目あたりをさるきました・・・今回も長くなります^^;
34号線は車で何百回も通りましたがこの脇の道は初めて歩きます
軽い坂道を進んでいくとまず目に留まったのが「渡鳥塚」
以前日見峠の記事のときに書いた「芒塚句碑」以外にも芭蕉&去来の句碑があったのですね
これは「馬町地蔵堂」かな?建物の名前が書いていないのでイマイチ確信はもてませんが山口広助さんのブログを参考にしました。
さらに進むと右手に本河内郷有墓地の管理事務所に上がる階段がありますが、その脇にあるのが「長崎四国八十八ヶ所霊場」の46番札所である「一ノ瀬大師堂」です・・・長崎ぶらぶらの記事が間に合いませんでした^^;
その向かいに建っている地蔵堂・・・とにかくこの通りにはお堂や祠など多数ありますがこれは国道34号線の拡張工事で移転されたものがあるせいです。
さらに進むとガードレールに「番外・一ノ瀬無縁塔」の案内板がありましたが本体はどこにあるのでしょうか?
付近を見渡すと何やらそれらしき史跡がありましたが、これは長崎市文化財に指定されている「青銅塔(からかねとう)」でした・・・ちなみに所有者は紺屋町だそうです^^;
そこで案内板の脇の階段を上がってみることにしました
階段の途中から下を見ると長崎街道の標識の向こうに以前行った「松島神社」が見えます。でもこの標識左が長崎方面で右が小倉方面とは随分大雑把ですね(^^)
石段を上がり突き当りまで行くとやっと「一ノ瀬無縁塔」がありました・・・これはその中でもひと際大きい俗称「お亀の塔」と呼ばれているそうです。
そういえば国道を車で走っていると目につくこの大きな石碑も長崎市指定有形文化財の「本河内宝篋印塔」だそうです・・・長崎市のHPでの紹介はこちら
閑静な道を歩き続けると
いたるところに石碑があります・・・この「長崎街道」の案内板で場所が確認できました。
駐車場の奥にもお堂があります。
右手に「聖母の騎士高校」が見えてきました・・・私の高校時代に建てられたのですが当時は1クラス12名くらいの少数精鋭を目指していましたが現在はどうなのかな?
「ルルド」を見てみたいのですが今回はパス
そのまま行くと住宅地になりいつもの案内板が見えてきましたが
ここが第27番霊場の「五島大師堂」なんですがここも一般のお宅の敷地内にあるんです・・・
ここで下の道に下りてもうひとつの目的地に向かいました
ここが今回最後の目的地である第61番霊場の「子安大師堂」です・・・入り口に門がありちょっと心配しましたが鍵は掛かっていなくて自由に参拝できるようになっていました(^^)
麹屋町の駐車場からですから今回も結構歩きましたね、60分100円の駐車場ですが200円かかりました
34号線は車で何百回も通りましたがこの脇の道は初めて歩きます
軽い坂道を進んでいくとまず目に留まったのが「渡鳥塚」
以前日見峠の記事のときに書いた「芒塚句碑」以外にも芭蕉&去来の句碑があったのですね
これは「馬町地蔵堂」かな?建物の名前が書いていないのでイマイチ確信はもてませんが山口広助さんのブログを参考にしました。
さらに進むと右手に本河内郷有墓地の管理事務所に上がる階段がありますが、その脇にあるのが「長崎四国八十八ヶ所霊場」の46番札所である「一ノ瀬大師堂」です・・・長崎ぶらぶらの記事が間に合いませんでした^^;
その向かいに建っている地蔵堂・・・とにかくこの通りにはお堂や祠など多数ありますがこれは国道34号線の拡張工事で移転されたものがあるせいです。
さらに進むとガードレールに「番外・一ノ瀬無縁塔」の案内板がありましたが本体はどこにあるのでしょうか?
付近を見渡すと何やらそれらしき史跡がありましたが、これは長崎市文化財に指定されている「青銅塔(からかねとう)」でした・・・ちなみに所有者は紺屋町だそうです^^;
そこで案内板の脇の階段を上がってみることにしました
階段の途中から下を見ると長崎街道の標識の向こうに以前行った「松島神社」が見えます。でもこの標識左が長崎方面で右が小倉方面とは随分大雑把ですね(^^)
石段を上がり突き当りまで行くとやっと「一ノ瀬無縁塔」がありました・・・これはその中でもひと際大きい俗称「お亀の塔」と呼ばれているそうです。
そういえば国道を車で走っていると目につくこの大きな石碑も長崎市指定有形文化財の「本河内宝篋印塔」だそうです・・・長崎市のHPでの紹介はこちら
閑静な道を歩き続けると
いたるところに石碑があります・・・この「長崎街道」の案内板で場所が確認できました。
駐車場の奥にもお堂があります。
右手に「聖母の騎士高校」が見えてきました・・・私の高校時代に建てられたのですが当時は1クラス12名くらいの少数精鋭を目指していましたが現在はどうなのかな?
「ルルド」を見てみたいのですが今回はパス
そのまま行くと住宅地になりいつもの案内板が見えてきましたが
ここが第27番霊場の「五島大師堂」なんですがここも一般のお宅の敷地内にあるんです・・・
ここで下の道に下りてもうひとつの目的地に向かいました
ここが今回最後の目的地である第61番霊場の「子安大師堂」です・・・入り口に門がありちょっと心配しましたが鍵は掛かっていなくて自由に参拝できるようになっていました(^^)
麹屋町の駐車場からですから今回も結構歩きましたね、60分100円の駐車場ですが200円かかりました
2011年06月09日
伊良林から矢の平あたりをさるきました
最近長崎市内をさるく時の目標のひとつにしている「長崎四国八十八ヶ所霊場」は何故か本河内に結構たくさんあるので、最後あたりに本河内ばかりの記事になるといけないと思いいくつか見て回ることにしました・・・とりあえず今回は伊良林から矢の平あたりまで^^;
車はいつもの60分100円の麹屋町の駐車場に停めました・・・何故か最近は運がいいのかいつも空いています。
でもこの駐車場にある自販機のグッズは他ではあまり目にしないものが多いような気がします・・・まさかここだけのオリジナルじゃないのでしょうがどこから探してくるのでしょうか(^^)
駐車場から坂道を上がり左折して寺町から伊良林方面に向かいましたが興福寺の前に大きな「隠元和尚」のポスターが掲げられていました・・・大宰府の九州国立博物館で先月まで開催されていた「黄檗展」で使われたものかな?
何気に伊良林の街中の駐車場にあった水神宮の石碑・・・
以前書いた「飴屋の幽霊」の「光源寺」の前を通り矢の平方面に歩いていると途中にあるのが長崎四国八十八ヶ所霊場の41番札所である「伊良林地蔵堂」(記事はこちら)です・・・この通りは何度か通ったことがあるのですがこのお堂の存在には今まで全く気づきませんでした^^; やはり興味のあるなしでしょうね。
そのまま行くと若宮神社の参道があります
さらに矢の平方面に進みます・・・ちょうど伊良林小学校の裏の道になります
左手は新中川町で右が矢の平2丁目あたりかな、閑静な通りを歩いていると・・・
右手に「矢の平神社参道入口」とあったので上ってみることにしました
この日はまだあまり階段を上がっていないので楽に行くことができました・・・この矢の平神社の模様もそのうち(多分)「長崎ぶらぶら」に書くでしょう
さらに行くとちょっとした交差点があり、その先にかすかに見えるのは・・・
これも長崎四国八十八ヶ所霊場のひとつである「第25番札所・横向地蔵堂」です・・・何故「横向」と言うのかは地蔵堂の前にあったパンフレットに書かれています。
これがそのパンフレットです・・・しかしこの地蔵堂は「矢の平地蔵堂保存会」というところが管理しているみたいですが、今まで見た地蔵堂の中では一番管理が行き届いていますし平日昼間でもお堂は開けていてくれているので参拝も気軽に出来ますし言うことなしですね・・・「お城谷観音堂」も改装されたばかりできれいだし開かれているのですが、行くまでがちょっと大変ですものね^^;
この地蔵堂の前も以前は瓊浦高校やホテル矢太楼方面に行くのによく通りましたがこの地蔵堂には全く気づきませんでした
「矢の平橋」の下を流れる矢の平川も風情が残っていますね・・・川沿いを散策するのも楽しそうです。
以前から不思議に思っているのがこの長崎市営の無料駐輪場・・・一体誰のために設置しているのでしょうか
次回は矢の平1丁目交差点を越えて今回の目的地である本河内をさるきます・・・また長くなりそうですが^^;
車はいつもの60分100円の麹屋町の駐車場に停めました・・・何故か最近は運がいいのかいつも空いています。
でもこの駐車場にある自販機のグッズは他ではあまり目にしないものが多いような気がします・・・まさかここだけのオリジナルじゃないのでしょうがどこから探してくるのでしょうか(^^)
駐車場から坂道を上がり左折して寺町から伊良林方面に向かいましたが興福寺の前に大きな「隠元和尚」のポスターが掲げられていました・・・大宰府の九州国立博物館で先月まで開催されていた「黄檗展」で使われたものかな?
何気に伊良林の街中の駐車場にあった水神宮の石碑・・・
以前書いた「飴屋の幽霊」の「光源寺」の前を通り矢の平方面に歩いていると途中にあるのが長崎四国八十八ヶ所霊場の41番札所である「伊良林地蔵堂」(記事はこちら)です・・・この通りは何度か通ったことがあるのですがこのお堂の存在には今まで全く気づきませんでした^^; やはり興味のあるなしでしょうね。
そのまま行くと若宮神社の参道があります
さらに矢の平方面に進みます・・・ちょうど伊良林小学校の裏の道になります
左手は新中川町で右が矢の平2丁目あたりかな、閑静な通りを歩いていると・・・
右手に「矢の平神社参道入口」とあったので上ってみることにしました
この日はまだあまり階段を上がっていないので楽に行くことができました・・・この矢の平神社の模様もそのうち(多分)「長崎ぶらぶら」に書くでしょう
さらに行くとちょっとした交差点があり、その先にかすかに見えるのは・・・
これも長崎四国八十八ヶ所霊場のひとつである「第25番札所・横向地蔵堂」です・・・何故「横向」と言うのかは地蔵堂の前にあったパンフレットに書かれています。
これがそのパンフレットです・・・しかしこの地蔵堂は「矢の平地蔵堂保存会」というところが管理しているみたいですが、今まで見た地蔵堂の中では一番管理が行き届いていますし平日昼間でもお堂は開けていてくれているので参拝も気軽に出来ますし言うことなしですね・・・「お城谷観音堂」も改装されたばかりできれいだし開かれているのですが、行くまでがちょっと大変ですものね^^;
この地蔵堂の前も以前は瓊浦高校やホテル矢太楼方面に行くのによく通りましたがこの地蔵堂には全く気づきませんでした
「矢の平橋」の下を流れる矢の平川も風情が残っていますね・・・川沿いを散策するのも楽しそうです。
以前から不思議に思っているのがこの長崎市営の無料駐輪場・・・一体誰のために設置しているのでしょうか
次回は矢の平1丁目交差点を越えて今回の目的地である本河内をさるきます・・・また長くなりそうですが^^;
2011年06月01日
東山町から元町あたりをさるきました
2011年6月にアップした記事ですが何故か画像が全て消えているのでアップし直してみます
ちょっと間が開きましたが先日書いた大浦の出雲から日の出町あたりをさるいた続きです・・・でも東山町や元町なんてほとんど知りませんでした^^;
バス停は上田町となっていますが道のこちら側は大浦東町じゃないのかな?
ここらへんから山手の方に上がっていきます。
狭い坂段を歩いていくと「大浦児童園」というのがありましたがここも通園がきついでしょうね狭い石畳の坂道が続きます。
旧大浦小学校(さらには旧北大浦小学校)の横の坂を上がっていくとこの派手な寺院が長崎四国八十八ヶ所第60番霊場である真言宗醍醐派「東法山遍照院」です・・・「長崎ぶらぶら」の記事はこちら
さらに進むと目の前に長い石段、調べると「五十段坂」という名前があるそうですね。
途中で下を振り返ると・・・景色はいいけど転んだら大変^^;
途中で見かけたグランドではサッカーの練習中さらに階段を上がります・・・住んでいる人に感心しますね
何人かの人に道を聞いてやっと着いたのが、話には聞いていたけど今まで来る機会が無かった「どんの山公園」です(記事はこちら)・・・車で来ることができないので地元の人しか利用しないでしょうね。
これが名前の由来となった正午の「ドン」を撃っていた大砲だとか・・・
さすがに景色はいいですね・・・車を停めた「出雲近隣公園」が意外と遠くに見えます
帰りの坂を下る途中で見かけた「東山手倶楽部」・・・何かと思ったら海星高校のテニス部の寮なんですね。
その下にあった「鴎外荘別館」という門柱・・・一体これは何なのかな??
さらに下って旧大浦小学校前を通りました。
この校舎はずっと以前は「北大浦小学校」だったのですが「南大浦小学校」「北大浦小学校」「浪平小学校」の3校統合により平成19年にこの校舎を利用して「大浦小学校」として開校したのです、ところが平成21年に旧南大浦小学校の跡地に新たな校舎が建てられそこに移転したので現在は廃校・・・浪平小学校の生徒はわずか数年のうちに通学崎が2度も変わったのです。
使わなくなった運動場・・・この場所はどうなるのでしょうか?学校+運動場の敷地を併せるとかなりの広さになるので公共施設の移転もいいのでしょうが途中の道路が狭いですものね。
この光景を懐かしむ人も多いでしょうねこの道はどこにつながっているのかな?と思っていると東山手のオランダ坂に出ました。
2016年5月に以前の画像を探し出して記事を再アップしました(^^;
ちょっと間が開きましたが先日書いた大浦の出雲から日の出町あたりをさるいた続きです・・・でも東山町や元町なんてほとんど知りませんでした^^;
バス停は上田町となっていますが道のこちら側は大浦東町じゃないのかな?
ここらへんから山手の方に上がっていきます。
狭い坂段を歩いていくと「大浦児童園」というのがありましたがここも通園がきついでしょうね狭い石畳の坂道が続きます。
旧大浦小学校(さらには旧北大浦小学校)の横の坂を上がっていくとこの派手な寺院が長崎四国八十八ヶ所第60番霊場である真言宗醍醐派「東法山遍照院」です・・・「長崎ぶらぶら」の記事はこちら
さらに進むと目の前に長い石段、調べると「五十段坂」という名前があるそうですね。
途中で下を振り返ると・・・景色はいいけど転んだら大変^^;
途中で見かけたグランドではサッカーの練習中さらに階段を上がります・・・住んでいる人に感心しますね
何人かの人に道を聞いてやっと着いたのが、話には聞いていたけど今まで来る機会が無かった「どんの山公園」です(記事はこちら)・・・車で来ることができないので地元の人しか利用しないでしょうね。
これが名前の由来となった正午の「ドン」を撃っていた大砲だとか・・・
さすがに景色はいいですね・・・車を停めた「出雲近隣公園」が意外と遠くに見えます
帰りの坂を下る途中で見かけた「東山手倶楽部」・・・何かと思ったら海星高校のテニス部の寮なんですね。
その下にあった「鴎外荘別館」という門柱・・・一体これは何なのかな??
さらに下って旧大浦小学校前を通りました。
この校舎はずっと以前は「北大浦小学校」だったのですが「南大浦小学校」「北大浦小学校」「浪平小学校」の3校統合により平成19年にこの校舎を利用して「大浦小学校」として開校したのです、ところが平成21年に旧南大浦小学校の跡地に新たな校舎が建てられそこに移転したので現在は廃校・・・浪平小学校の生徒はわずか数年のうちに通学崎が2度も変わったのです。
使わなくなった運動場・・・この場所はどうなるのでしょうか?学校+運動場の敷地を併せるとかなりの広さになるので公共施設の移転もいいのでしょうが途中の道路が狭いですものね。
この光景を懐かしむ人も多いでしょうねこの道はどこにつながっているのかな?と思っていると東山手のオランダ坂に出ました。
2016年5月に以前の画像を探し出して記事を再アップしました(^^;
2011年05月26日
出雲町から日の出町あたりをさるきました
育ったのが長崎市内でも北部の方だし南部の大浦方面には勤めたことも住んだことも無く、町名すらイマイチよくわからないので大浦方面をさるいてみました・・・出雲町→日の出町→大浦東町→元町→東山町あたりをさるいたのですがまずは出雲町から日の出町あたり(また長くなるだろうなぁ^^;)
さるく時はいつも最初に車を駐車する場所を考えるのですが、今回はこの「出雲近隣公園」という以前は「出雲浄水場」というのがあった跡地に昨年出来たばかりで地図にも載っていない公園に停めさせてもらいました^^; 車で行く場合は新戸町から田上に抜ける道から行くことになります公園の様子はこちら
その高台にある「出雲近隣公園」のすぐ下にある保育園ですが通園するのが大変でしょうね
何せ車が入らないのでこんな坂を毎日歩かなければいけませんもの
階段を下って出たところは大浦石橋通りから出雲町に入った通り、この道は上に行くと戸町と田上を結ぶ道路につながっているんですね、途中で道路拡張工事も行われています。
この道路を左手に進み行き止まりの脇道に入ると天満宮がありました
その先を少し行くと小川に掛かった橋に「長崎四国八十八ヶ所霊場」の案内板があります。
ここから上がったところにあるのが第44番霊場である「大師院 弘仁寺」です・・・詳細はじきに「長崎ぶらぶら」にあっぷするのでそちらで確認してください(^^)
その川を少し上流まで上がると「第84番・橋本不動堂」があるのですが、ここも個人宅でしかも自宅内に祠を設置しているみたいなのでさすがにお堂を拝見するのは遠慮させてもらいました
先ほどの道を戻ると「大浦石橋通り」に交差します
ここら辺は川上町かな?何やら由緒がありそうな手押しポンプの井戸があります
その背後に回ると・・・ここは何なのかな?以前は公園だったのかもしれませんね
ちょっと上にあった「大浦国際墓地」の案内板ですが、やはりここらへんは川上町なんですね
さほど興味は無いのですが「大浦国際墓地」にも寄ってみました・・・やはり子供の頃から国際墓地というと悟真寺の「稲佐国際墓地」が身近でしたからそれ以外はあまり意識に無かったですね
元の通りに戻って日の出町の方に上がっていきます
日の出町バス停の先の道路沿いにある「うなぎの神様」と「江越水神宮」
実は私の両親は結婚して長崎で最初に住んだのが「大浦日之出町」つまりここら辺なんですが、私が生まれて数年で当時の城山町二丁目に引っ越したので当然のことですが記憶には全くありません・・・3歳上の兄は覚えているでしょうが。
こんな坂をよちよち歩いていたのかな?
幟が立っているのは「長崎四国八十八ヶ所霊場」のひとつである高野山真言宗の寺院「光日山御光院」(長崎ぶらぶらの記事)です・・・地図では「護光院」となっています
やっぱり長くなってきたのでこの先は次回・・・やっぱり霊場や神社・公園などを別のブログにしたのはちょっと大変ですが本来の目的である街歩きの写真をアップすることができるので正解でしょうね、今までは神社などの写真が多くなりすぎて肝心の街の様子があまりかけませんでしたもの
さるく時はいつも最初に車を駐車する場所を考えるのですが、今回はこの「出雲近隣公園」という以前は「出雲浄水場」というのがあった跡地に昨年出来たばかりで地図にも載っていない公園に停めさせてもらいました^^; 車で行く場合は新戸町から田上に抜ける道から行くことになります公園の様子はこちら
その高台にある「出雲近隣公園」のすぐ下にある保育園ですが通園するのが大変でしょうね
何せ車が入らないのでこんな坂を毎日歩かなければいけませんもの
階段を下って出たところは大浦石橋通りから出雲町に入った通り、この道は上に行くと戸町と田上を結ぶ道路につながっているんですね、途中で道路拡張工事も行われています。
この道路を左手に進み行き止まりの脇道に入ると天満宮がありました
その先を少し行くと小川に掛かった橋に「長崎四国八十八ヶ所霊場」の案内板があります。
ここから上がったところにあるのが第44番霊場である「大師院 弘仁寺」です・・・詳細はじきに「長崎ぶらぶら」にあっぷするのでそちらで確認してください(^^)
その川を少し上流まで上がると「第84番・橋本不動堂」があるのですが、ここも個人宅でしかも自宅内に祠を設置しているみたいなのでさすがにお堂を拝見するのは遠慮させてもらいました
先ほどの道を戻ると「大浦石橋通り」に交差します
ここら辺は川上町かな?何やら由緒がありそうな手押しポンプの井戸があります
その背後に回ると・・・ここは何なのかな?以前は公園だったのかもしれませんね
ちょっと上にあった「大浦国際墓地」の案内板ですが、やはりここらへんは川上町なんですね
さほど興味は無いのですが「大浦国際墓地」にも寄ってみました・・・やはり子供の頃から国際墓地というと悟真寺の「稲佐国際墓地」が身近でしたからそれ以外はあまり意識に無かったですね
元の通りに戻って日の出町の方に上がっていきます
日の出町バス停の先の道路沿いにある「うなぎの神様」と「江越水神宮」
実は私の両親は結婚して長崎で最初に住んだのが「大浦日之出町」つまりここら辺なんですが、私が生まれて数年で当時の城山町二丁目に引っ越したので当然のことですが記憶には全くありません・・・3歳上の兄は覚えているでしょうが。
こんな坂をよちよち歩いていたのかな?
幟が立っているのは「長崎四国八十八ヶ所霊場」のひとつである高野山真言宗の寺院「光日山御光院」(長崎ぶらぶらの記事)です・・・地図では「護光院」となっています
やっぱり長くなってきたのでこの先は次回・・・やっぱり霊場や神社・公園などを別のブログにしたのはちょっと大変ですが本来の目的である街歩きの写真をアップすることができるので正解でしょうね、今までは神社などの写真が多くなりすぎて肝心の街の様子があまりかけませんでしたもの
2011年05月23日
「ながさき紫陽花まつり」で鳴滝に
このブログの右上に表示されている「長崎市のイベント」で「ながさき紫陽花まつり」の開催が始まっているのを知りちょっと様子を見に鳴滝の「シーボルト記念館」に出掛けました・・・「今年は紫陽花の開花が遅れているので見ごろは来週みたい」とは女房の話です。
ちなみに「紫陽花(あじさい)まつり」じゃなく「紫陽花(おたくさ)まつり」というのを今年初めて知りました・・・そんな全国的には通用しない名称は使わない方がいいと思うのですが^^;
ついでに中川町にある二つの「長崎四国八十八ヶ所霊場」になっている地蔵堂を見ようと思い古橋を渡りました
古橋から鳴滝高校へ行く道の交差点にある「中川地蔵堂」は以前記事に書いたことがありますが・・・
テントに覆われて工事中!・・・聞けば道路拡張工事のためにこの場所から撤去されるとのこと
さらに工事中の人に聞いたら右側の緑のフェンスに囲まれた場所に移るとか・・・わずか数メートルの移転です^^;
これが移転場所ですが土台だけ移ってました
本来はここから鳴滝高校に向かう途中の民家に「横山地蔵堂」というのもあったそうなんですがそこも道路拡張工事の影響で民家が移転したので地蔵堂はどうなったのやら・・・息子が鳴滝に通っていたので時々はこの道も通っていたのですが拡張工事が始まってからすでに数年は経っていますよね。
そのまま鳴滝のシーボルト宅跡に向かったのですがその手前にあった地蔵堂・・・
ひょっとすると「横山地蔵堂」が一時移転しているのかな?
鳴滝のシーボルト宅跡に来ましたが確かに紫陽花はまだまだでした
飾り付けをしている人たちがいましたがニュースにでていた長大生の人たちかな??