2024年10月06日
母の葬儀・・・福岡は2年ぶり
福岡で兄貴と一緒に住んでいた私の母親が亡くなりました・・・5月くらいから体調を崩しグループホームに入っていたのですが、コロナにも感染したそうです
最終的には病院で死亡したのですが94歳でしたし、ボケることも無かったので「大往生」じゃなかったのでしょうか
高速道路を福岡まで運転するのはちょっと大変だなと思いましたが・・・運よく娘の旦那が休みを取ることが出来たので連れて行ってもらうことにしました
途中で「川登」にのみ寄りましたがかなり久しぶりですね
レストランの「おすすめ」が長崎の「レモンステーキ」と「ちゃんぽん」ですって(゜o゜)・・・佐賀に美味しいのは無いのでしょうか?
自宅を出てから2時間半くらいで古賀駅前の斎場に到着しました
建物自体さほど大きくはないので家族葬がメインの斎場かな・・・駐車場もさほど広くはありませんし
兄があまり母親の死亡を親戚に伝えていないとのことだったので参列者は少なそうでしたし、受付は弟の子供(つまり私の姪)がやっていました・・・父親の葬儀の時も任せられていましたね(^^;
祭壇はかなり質素な感じでよかったですね・・・大勢が集まる葬儀ならともかく身内だけだとこれくらいで十分です
私の長男の発案で「孫一同」の花輪がありました(^^;
母親の遺影はなかなか上手に撮れていましたが、聞けば「老人会」でこの斎場に以前訪れた時に「遺影用の写真を撮影しよう」というイベントがあったそうですね
お寺さんが入場して読経が始まりましたがこの方は父親の葬儀にも来てもらった八女の黒木のお寺の住職です
ずいぶん長くやるなと思ったら「初七日」の法要も兼ねていたそうです
一通り葬儀が終了すると喪主である兄貴の挨拶がありました
その後はロビーでしばし歓談・・・年寄りだらけに見えますが皆さん私より年下なんですよね(^^;
その後に「故人との最後の別れ」といって花などを棺の中にいれていました
考えてみると孫たちは「死人」を初めて目にしたのでしょうね
孫以外の参加者も身内ばかりですから「挨拶」をさせられましたが問題ありませんでした(^^;
この後「火葬場」に移動しましたので「その2」に続きます
最終的には病院で死亡したのですが94歳でしたし、ボケることも無かったので「大往生」じゃなかったのでしょうか
高速道路を福岡まで運転するのはちょっと大変だなと思いましたが・・・運よく娘の旦那が休みを取ることが出来たので連れて行ってもらうことにしました
途中で「川登」にのみ寄りましたがかなり久しぶりですね
レストランの「おすすめ」が長崎の「レモンステーキ」と「ちゃんぽん」ですって(゜o゜)・・・佐賀に美味しいのは無いのでしょうか?
自宅を出てから2時間半くらいで古賀駅前の斎場に到着しました
建物自体さほど大きくはないので家族葬がメインの斎場かな・・・駐車場もさほど広くはありませんし
兄があまり母親の死亡を親戚に伝えていないとのことだったので参列者は少なそうでしたし、受付は弟の子供(つまり私の姪)がやっていました・・・父親の葬儀の時も任せられていましたね(^^;
祭壇はかなり質素な感じでよかったですね・・・大勢が集まる葬儀ならともかく身内だけだとこれくらいで十分です
私の長男の発案で「孫一同」の花輪がありました(^^;
母親の遺影はなかなか上手に撮れていましたが、聞けば「老人会」でこの斎場に以前訪れた時に「遺影用の写真を撮影しよう」というイベントがあったそうですね
お寺さんが入場して読経が始まりましたがこの方は父親の葬儀にも来てもらった八女の黒木のお寺の住職です
ずいぶん長くやるなと思ったら「初七日」の法要も兼ねていたそうです
一通り葬儀が終了すると喪主である兄貴の挨拶がありました
その後はロビーでしばし歓談・・・年寄りだらけに見えますが皆さん私より年下なんですよね(^^;
その後に「故人との最後の別れ」といって花などを棺の中にいれていました
考えてみると孫たちは「死人」を初めて目にしたのでしょうね
孫以外の参加者も身内ばかりですから「挨拶」をさせられましたが問題ありませんでした(^^;
この後「火葬場」に移動しましたので「その2」に続きます