2021年06月28日
学生時代のアルバイトの思い出
最近知ったのですが学生時代にアルバイトをする時にお世話になった「日刊アルバイトニュース」が完全に無くなったそうですね
「『an』(アン)は、パーソルキャリア(旧・学生援護会→インテリジェンス)が過去に発行していた、アルバイト・パートタイマー向けの求人情報誌および同社が運営していた求人情報ウェブサイト。「an」とは前身となる「アルバイトニュース」の略である。 もとは、同社が発行していたアルバイト求人情報誌の名称で、1986年に『日刊アルバイトニュース』から改題した。2017年8月以降はWebでの求人情報に特化していたが[2]、2019年11月25日をもってWebでのサービスも終了し、雑誌から続いた52年の歴史に幕を下ろした」・・・Wikipediaより
学生時代は東京で下宿住まいでしたが家からの仕送りが月に3万円でした・・・少ないように感じる人が多いでしょうが地方から来ている人は大体そんなものでしたね
その中から下宿代を払い3食食べなくちゃいけないのですから余裕があるわけはないですよね・・・もっとも同じ下宿に住んでいた新潟出身の「O」は同じ金額くらいの仕送りですべて賄っていたそうですが彼は酒もタバコも「麻雀」もやりませんでしたから(^^;
そんな訳で学生時代はよくアルバイトをしていましたね
・生まれて初めてやったアルバイトは大学の学生課で紹介された「キューピーマヨネーズ」の工場での仕事でした・・・流れ作業のメンバーだったので仕事自体はかなり楽だったのですが、何せ朝が早すぎてバイトに行くのに朝5時起きだったので1週間くらいで頓挫しちゃいました(^^;
・スーパー「長崎屋」の配送センターでもバイトしたことがありますね・・・午前中は配送センターでの荷物の仕分けで午後は配送助手で都内のお店を回りました
・大学のすぐ近くにあった「出版社の下請け」でのアルバイトというのは「返品」された本の裁断作業という本好きな私にとっては悲しい仕事でした
・銀座にある「弁当屋」での仕事は夕方に銀座のクラブの従業員が注文した弁当を配達するという長崎では考えられない仕事でした・・・さすがにホステスさんたちが注文することはありませんでしたが銀座の一流クラブに足を踏み入れることができました(^O^)
・私が住んでいた下宿の最寄り駅である井の頭線「永福町駅」近くのパチンコ店でも数か月アルバイトをしたことがあります・・・たまに(ほんとかどうかは知りませんが)「税金対策」と言って焼き肉店や寿司屋でただで食事をいただいたのが一番の思い出です(^^)
・長崎に帰省する前には短期のアルバイトで旅費を稼いでいましたがその場合は下落合にあった「学徒援護会」という公的アルバイト斡旋事業所を利用していましたね・・・何せ当時の長崎までの旅費は「急行券」300円で運賃だけは学割で5000円以下でしたから2日も働けば長崎まで帰れたのです
・無論「特急列車」などは使わず3日くらいかけて急行&鈍行列車を乗り継いで帰りましたからいい経験をしたと思っています・・・必要でもないのに「山陰本線」を使ったりしましたから(^^;
・その「学徒援護会」での有名だったのが夏に行われる「北海道の牧場」でのアルバイトでした・・・私も興味半分で参加したのですが「あわや」という事態もありましたが毎晩「氷下魚」を肴に焼酎を戴けましたし結構楽しかったですね
・「引っ越し」という名目で「学徒援護会」で紹介されたアルバイトは何と「NEC」の下請け会社での「重量鳶」でした・・・その後関連会社に移ったのですがその時に取得した「フォークリフト」の終了証がずっと後でも役に立ちました
・その「NEC の関連会社」での仕事はかなり気に入っていたのですが「東京」での暮らしに飽きて「日刊アルバイトニュース」で選んだのが群馬の山の中にあるホテルでの仕事です・・・結局ここでの生活があったのかそのまま正社員になったのでアルバイト生活にもピリオドを打ちました(^^)
「『an』(アン)は、パーソルキャリア(旧・学生援護会→インテリジェンス)が過去に発行していた、アルバイト・パートタイマー向けの求人情報誌および同社が運営していた求人情報ウェブサイト。「an」とは前身となる「アルバイトニュース」の略である。 もとは、同社が発行していたアルバイト求人情報誌の名称で、1986年に『日刊アルバイトニュース』から改題した。2017年8月以降はWebでの求人情報に特化していたが[2]、2019年11月25日をもってWebでのサービスも終了し、雑誌から続いた52年の歴史に幕を下ろした」・・・Wikipediaより
学生時代は東京で下宿住まいでしたが家からの仕送りが月に3万円でした・・・少ないように感じる人が多いでしょうが地方から来ている人は大体そんなものでしたね
その中から下宿代を払い3食食べなくちゃいけないのですから余裕があるわけはないですよね・・・もっとも同じ下宿に住んでいた新潟出身の「O」は同じ金額くらいの仕送りですべて賄っていたそうですが彼は酒もタバコも「麻雀」もやりませんでしたから(^^;
そんな訳で学生時代はよくアルバイトをしていましたね
・生まれて初めてやったアルバイトは大学の学生課で紹介された「キューピーマヨネーズ」の工場での仕事でした・・・流れ作業のメンバーだったので仕事自体はかなり楽だったのですが、何せ朝が早すぎてバイトに行くのに朝5時起きだったので1週間くらいで頓挫しちゃいました(^^;
・スーパー「長崎屋」の配送センターでもバイトしたことがありますね・・・午前中は配送センターでの荷物の仕分けで午後は配送助手で都内のお店を回りました
・大学のすぐ近くにあった「出版社の下請け」でのアルバイトというのは「返品」された本の裁断作業という本好きな私にとっては悲しい仕事でした
・銀座にある「弁当屋」での仕事は夕方に銀座のクラブの従業員が注文した弁当を配達するという長崎では考えられない仕事でした・・・さすがにホステスさんたちが注文することはありませんでしたが銀座の一流クラブに足を踏み入れることができました(^O^)
・私が住んでいた下宿の最寄り駅である井の頭線「永福町駅」近くのパチンコ店でも数か月アルバイトをしたことがあります・・・たまに(ほんとかどうかは知りませんが)「税金対策」と言って焼き肉店や寿司屋でただで食事をいただいたのが一番の思い出です(^^)
・長崎に帰省する前には短期のアルバイトで旅費を稼いでいましたがその場合は下落合にあった「学徒援護会」という公的アルバイト斡旋事業所を利用していましたね・・・何せ当時の長崎までの旅費は「急行券」300円で運賃だけは学割で5000円以下でしたから2日も働けば長崎まで帰れたのです
・無論「特急列車」などは使わず3日くらいかけて急行&鈍行列車を乗り継いで帰りましたからいい経験をしたと思っています・・・必要でもないのに「山陰本線」を使ったりしましたから(^^;
・その「学徒援護会」での有名だったのが夏に行われる「北海道の牧場」でのアルバイトでした・・・私も興味半分で参加したのですが「あわや」という事態もありましたが毎晩「氷下魚」を肴に焼酎を戴けましたし結構楽しかったですね
・「引っ越し」という名目で「学徒援護会」で紹介されたアルバイトは何と「NEC」の下請け会社での「重量鳶」でした・・・その後関連会社に移ったのですがその時に取得した「フォークリフト」の終了証がずっと後でも役に立ちました
・その「NEC の関連会社」での仕事はかなり気に入っていたのですが「東京」での暮らしに飽きて「日刊アルバイトニュース」で選んだのが群馬の山の中にあるホテルでの仕事です・・・結局ここでの生活があったのかそのまま正社員になったのでアルバイト生活にもピリオドを打ちました(^^)

