2013年09月18日
旧外海町の「黒崎教会」と「枯松神社」
前の記事の続きです

出津から黒崎にやってきました

煉瓦造りの黒埼教会はきれいですね

教会堂前のマリア像の台座に黒崎教会の歴史が書かれていますが、1897年に信者自ら敷地の造成を始めましたが1899年に本体工事に取りかかった時点で資金難のため一時中断した後、1920年にようやく竣工したそうです・・・出津教会や大野教会を建てたド・ロ神父はこの6年前に亡くなられていますから設計には携わったのかもしれませんが現場に足を運ぶことは無かったでしょうね

子供達も運ぶのを手伝い信徒が自らの手で積んだといわれる煉瓦の外壁

窓を覗くと反対側の窓のステンドグラスがきれいですね

何故この教会は県や市の文化財に指定されていないのでしょうか?

ここも「エコミュゼ外海」です
続いて「黒崎教会」の向かいの山にある「枯松神社」に向かいます・・・教会巡りの後に神社というと違和感があるかもしれませんが^^;

以前訪れた時には女房と一緒だったのでこの狭くてガードレールもない道を車で上がるのをやめて山道を歩いたのですが、今回は一人だったので車で行ってみました・・・途中でもし行き止まりだったらバックで戻るのはかなり危ないだろうなと思ったのですが無事に上がることができました(^^)

上がったところは駐車場になっていてその前は墓地で一見何の変わりも無いようなお墓が並んでいますが・・・多くの墓碑銘には仏教の戒名といっしょにずっと以前に亡くなられた方の洗礼名もありましたから宗教の枠を超えて一緒に祀っているのでしょう

お墓の間を通り抜けると広い敷地に小さな社がありますが

これが「枯松神社」で

長崎市の史跡に指定されています

拝殿の中を見ると普通の神社にも見えますが奥にあるご神体(?)には「サンジワン枯松神社」とあります・・・ここは禁教下の江戸時代に外海キリシタンの信仰を指導したとされる外国人宣教師「サン・ジワンさま」を祀っている切支丹神社なんです

長崎市が設置した案内板では
慶長19年(1614)の禁教令が出され、以降キリスト教信者への取り締まりはいっそう厳しさを増したが、その中にあって、外海地方の多くの信徒たちは潜伏して信仰を保ち続けた。黒崎地方の潜伏キリシタンたちは、枯松の山頂にひそかに集まってオラショを伝承してきた。明治時代に入ると、この地に神社を建立し、日本人指導者バスチャンの師であるサン・ジワンをここにまつった。
また、神社周辺には、板石を伏せて置くキリシタン墓が残っている。このようにキリシタンをまつった神社は全国的に珍しく、長崎市内淵神社の桑姫(くわひめ)大明神、東京都伊豆大島のおたあね大明神が知られている
とあります
また「枯松神社」のことについては長崎新聞の特集でも紹介されています

ここも「エコミュゼ外海」に選定されていますがいったい何ヶ所あるんでしょうか?外海町時代には町のHPで紹介していたみたいですが現在はネットで検索しても一覧が分かりませんね

話題はガラッと変わりますが旧外海町から長崎に戻る途中で確認したのですが新三重漁協婦人部直売所である「はないそ」が閉鎖されていました・・・夏ごろからこの前を通るたびに閉まっていたので気にはなっていたのですが近所の人に聞くと移転じゃなく閉店したそうです
「はまいそ」名物のおばちゃんは引退したのかな?

出津から黒崎にやってきました

煉瓦造りの黒埼教会はきれいですね

教会堂前のマリア像の台座に黒崎教会の歴史が書かれていますが、1897年に信者自ら敷地の造成を始めましたが1899年に本体工事に取りかかった時点で資金難のため一時中断した後、1920年にようやく竣工したそうです・・・出津教会や大野教会を建てたド・ロ神父はこの6年前に亡くなられていますから設計には携わったのかもしれませんが現場に足を運ぶことは無かったでしょうね

子供達も運ぶのを手伝い信徒が自らの手で積んだといわれる煉瓦の外壁

窓を覗くと反対側の窓のステンドグラスがきれいですね

何故この教会は県や市の文化財に指定されていないのでしょうか?

ここも「エコミュゼ外海」です
続いて「黒崎教会」の向かいの山にある「枯松神社」に向かいます・・・教会巡りの後に神社というと違和感があるかもしれませんが^^;

以前訪れた時には女房と一緒だったのでこの狭くてガードレールもない道を車で上がるのをやめて山道を歩いたのですが、今回は一人だったので車で行ってみました・・・途中でもし行き止まりだったらバックで戻るのはかなり危ないだろうなと思ったのですが無事に上がることができました(^^)

上がったところは駐車場になっていてその前は墓地で一見何の変わりも無いようなお墓が並んでいますが・・・多くの墓碑銘には仏教の戒名といっしょにずっと以前に亡くなられた方の洗礼名もありましたから宗教の枠を超えて一緒に祀っているのでしょう

お墓の間を通り抜けると広い敷地に小さな社がありますが

これが「枯松神社」で

長崎市の史跡に指定されています

拝殿の中を見ると普通の神社にも見えますが奥にあるご神体(?)には「サンジワン枯松神社」とあります・・・ここは禁教下の江戸時代に外海キリシタンの信仰を指導したとされる外国人宣教師「サン・ジワンさま」を祀っている切支丹神社なんです

長崎市が設置した案内板では
慶長19年(1614)の禁教令が出され、以降キリスト教信者への取り締まりはいっそう厳しさを増したが、その中にあって、外海地方の多くの信徒たちは潜伏して信仰を保ち続けた。黒崎地方の潜伏キリシタンたちは、枯松の山頂にひそかに集まってオラショを伝承してきた。明治時代に入ると、この地に神社を建立し、日本人指導者バスチャンの師であるサン・ジワンをここにまつった。
また、神社周辺には、板石を伏せて置くキリシタン墓が残っている。このようにキリシタンをまつった神社は全国的に珍しく、長崎市内淵神社の桑姫(くわひめ)大明神、東京都伊豆大島のおたあね大明神が知られている
とあります
また「枯松神社」のことについては長崎新聞の特集でも紹介されています

ここも「エコミュゼ外海」に選定されていますがいったい何ヶ所あるんでしょうか?外海町時代には町のHPで紹介していたみたいですが現在はネットで検索しても一覧が分かりませんね

話題はガラッと変わりますが旧外海町から長崎に戻る途中で確認したのですが新三重漁協婦人部直売所である「はないそ」が閉鎖されていました・・・夏ごろからこの前を通るたびに閉まっていたので気にはなっていたのですが近所の人に聞くと移転じゃなく閉店したそうです
「はまいそ」名物のおばちゃんは引退したのかな?

