2011年04月03日
「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」です
今朝の記事で書いた「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長いなぁ)」に女房と行ってきました。

車を原爆資料館の駐車場に停めて係の人に場所を聞くと、何とこの駐車場の目の前でした(゜o゜)


これが長崎市における初の国による追悼施設である「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」略称が「追悼平和祈念館」らしいので今後はこれでいきますね

館内に入ると先ず目を惹いたのが水を張った水盤・・・

「水盤の底には約7万個(1945年末までの推計死没者数と同一)の光ファイバーを埋め込んでいる。夕暮れになると点灯し、水面に幻想的な雰囲気を醸し出す。」そうで夜の建物の様子の写真もありました。

主な施設は地下にあるので長い階段を下ります

地下1階が「短時間コース」になっていて約10分で見て回れるコースになっていますが館内のあちこちで目に付いたのが「水」・・・原爆で直接亡くなった人たちが一番欲しがった水を表しているそうです。


地下2階は原爆死没者の手記や遺影・名前などを保管していますが圧倒されるのはこの死没者名簿の原本ですね。
館内にあるパソコンで死没者の名前を確認できるので試しに女房の母親や身内を検索しても出てこない!何故か理由を聞くと原本と違って検索用のデータは申請しないと載らないのですね、改めて後日申請することにしました。

本当に館内のあちこちに水が流れています

メッセージを残せるようになっているのですがこれは「宮沢りえ」さんのメッセージ・・・小泉純一郎元首相もメッセージを残しているのですね、でも現在の閣僚は誰一人書いていません(多分長崎出身の文科省大臣も)
でも日曜日の昼頃訪れたというのにわたしたち夫婦以外の人には誰一人として出会いませんでした・・・まぁ観光施設ではないし身内に被爆者がいない限り訪れることも無いのでしょうが、ひとつにはPR不足があるのかもしれませんね。
車を原爆資料館の駐車場に停めて係の人に場所を聞くと、何とこの駐車場の目の前でした(゜o゜)
これが長崎市における初の国による追悼施設である「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」略称が「追悼平和祈念館」らしいので今後はこれでいきますね
館内に入ると先ず目を惹いたのが水を張った水盤・・・
「水盤の底には約7万個(1945年末までの推計死没者数と同一)の光ファイバーを埋め込んでいる。夕暮れになると点灯し、水面に幻想的な雰囲気を醸し出す。」そうで夜の建物の様子の写真もありました。
主な施設は地下にあるので長い階段を下ります
地下1階が「短時間コース」になっていて約10分で見て回れるコースになっていますが館内のあちこちで目に付いたのが「水」・・・原爆で直接亡くなった人たちが一番欲しがった水を表しているそうです。
地下2階は原爆死没者の手記や遺影・名前などを保管していますが圧倒されるのはこの死没者名簿の原本ですね。
館内にあるパソコンで死没者の名前を確認できるので試しに女房の母親や身内を検索しても出てこない!何故か理由を聞くと原本と違って検索用のデータは申請しないと載らないのですね、改めて後日申請することにしました。
本当に館内のあちこちに水が流れています
メッセージを残せるようになっているのですがこれは「宮沢りえ」さんのメッセージ・・・小泉純一郎元首相もメッセージを残しているのですね、でも現在の閣僚は誰一人書いていません(多分長崎出身の文科省大臣も)
でも日曜日の昼頃訪れたというのにわたしたち夫婦以外の人には誰一人として出会いませんでした・・・まぁ観光施設ではないし身内に被爆者がいない限り訪れることも無いのでしょうが、ひとつにはPR不足があるのかもしれませんね。
この記事へのコメント
1. Posted by ハム 2011年04月04日 08:35
PR不足ですよ。 まったく知りませんでした。被爆者の義母を連れて来館してみますね。
2. Posted by 心づくし 2011年04月04日 10:05
ハムさん こんにちは
> PR不足ですよ。 まったく知りませんでした。被爆者の義母を連れて来館してみますね。
存在を知らなかったのは私たちだけではなかったのですね
> PR不足ですよ。 まったく知りませんでした。被爆者の義母を連れて来館してみますね。
存在を知らなかったのは私たちだけではなかったのですね
