2010年12月05日
本河内あたりをさるきました
このさるいた記事もいつまで続くやら・・・まだまだ半分くらいなんです^^;
長崎電気軌道蛍茶屋車庫の裏手から一ノ瀬橋を渡って国道34号線に上がりましたがここらあたりが「長崎街道」の始まりです。
一ノ瀬橋・・・ 一ノ瀬橋(中島川上流・一ノ瀬川に架かる橋)は、唐大通事陳道隆(1617〜1676)によって架けられた。道隆は日本名を潁川藤左衛門といい、前妻慶林の没後、後妻に代官末次平蔵の娘を迎えるが、その妻・法春院も1652年(慶安5)に病没した。 その法要追善として翌1653年(承応2)に日見峠への道筋にあたるこの場所にアーチ式石橋「一ノ瀬橋」を架けた。
そのすぐ近くにあるのが・・・昔、一瀬橋の傍らには「一瀬の茶屋」という茶屋があったが、この付近は清流が流れ夏は蛍が乱舞する名勝地だったことから、いつしかこの茶屋を蛍茶屋と呼ぶようになった。 また、長崎を旅立つ人と、見送りの人たちが別れを惜しんで酒を酌み交わしたのも、 この茶屋であった
という「蛍茶屋跡」です
蛍茶屋跡からちょっと上がったところにあったこの石仏群は何なんでしょうか?
やっと「松嶋神社」に到着です
神社の由来・・・往古より現今の境内、氷川社の側なる老樹の下に細やかな稲荷の小祠があり霊験顕著な、お山であるとして、その昔は多くの篤信者の浄財寄進によって崇高な神殿が造営された
とのことです
隣にある「不呆尊師」・・・
これが拝殿です
隣にある社・・・
境内にたくさんある句碑のひとつ・・・「若竹の 斜面かけのぼる 風の俺だ」という「隅治人」の句碑です
こっちが正式の参道でしょうね
これは足立半顔句碑で「松風の 里に琴柱の 赤鳥居」という句が書かれているそうです
これは何なのかな・・・
参道の途中で目に止まった案内・・・「カガミヤ」とは何だか聞き覚えがありますね
そういえば先日長崎市立図書館で開催された「歩いて楽しいまちづくり座談会−発見編」の講師をされていた方ですよね・・・こんなところに旅館があるとは思ってもいませんでした
帰りに見かけた馬頭観音堂
ここも「長崎四国八十八ヶ所霊場巡拝」になっているんですね
ちょっとお顔を拝見・・・すぐ近くに「樋口太子堂」というのがあるそうなので探してみました
ほどなく見つけた「樋口太子堂」です・・・
いつものことですが前もって調べて行かずにその日の気まぐれで出かけるのですぐ近くにあるのに見逃すこともしばしば・・・
この記事へのコメント
してます。前回の桜馬場を通って蛍茶屋は墓まいりでたまに通るのです。
蛍茶屋を入って本河内1丁目のダムのあたりはなんだか不思議な空間でちょっとこわくも感じます。
> さるくシリーズ楽しみにしてます。
ありがとうございますm(__)m