ノスタルジー

2014年03月18日

オランダ村で「手作り雑貨フェア&カキ焼」+フリマ

いい天気だったのでドライブがてらに旧長崎オランダ村に行ってきました

オランダ村01
行く途中で見かけた時津の「MEGAドン・キホーテ時津店」ですがお店の看板も取り付けられていますからもうじきオープンなんでしょうね

オランダ村01-3
「長崎バイオパーク」に4/1から「無料ゾーン」がオープンするそうです・・・以前はパスポートを持っていたのでたまに行っていましたが最後に訪れてから何年になるんでしょう

オランダ村02
やっと旧オランダ村に到着ですが現在は「西海市役所西彼総合支所」となっています・・・2〜3年前にもちょっと寄ったのですが奥の方に行くことはできませんでした

オランダ村02-1
オランダ村のシンボルであった風車も健在です(^^)

オランダ村02-2
何故ここにきたのかというとこの日に「「長崎手作り雑貨フェア&うず潮カキのカキ祭りinオランダ村」というイベントが行われていたからなんですが会場に行く道も懐かしいですね^^;

オランダ村02-3
階段を下りて船着場にやって来ると前回寄ったときには見ることができなかった懐かしい光景が目の前に広がっていました

オランダ村02-6
この場所に足を踏み入れたのは旧オランダ村が閉園した後に一時「キャスビレッジ(cas village)」という「食のテーマパーク」が半年ほど営業していたのですがその時に「ワサビ(wasabi)」というバイキングレストランに食事をしにきたときですから9年ぶりになります・・・オープン当初はあれだけ人気があった「ワサビ(wasabi)」もわずか9年経っただけなのにネットで検索してもまったくヒットしませんね

オランダ村03-1
街の広場では「今年最後のうず潮カキのカキ祭り」というのが開催されていて

オランダ村03-2
U字溝をコンロに使ってのカキ焼を楽しんでいるお客さんで賑わっていました(^^)

オランダ村03-3
ステージが設けられていてライブ演奏もやっていましたが

オランダ村03-4
このスケジュールを見ると歌っているのは中西隆二さんかな?

オランダ村04
フリーマーケットも行われていたのでちょっと覗いてみることにしましたが

オランダ村04-2
なんと会場は先ほど書いた旧「ワサビ(wasabi)」の店内でした(゜o゜)

オランダ村04-3
女房は「午前中に行った長崎グリーンキャンペーンのフリマとは品物がぜんぜん違う」とあれこれ物色していましたが私は懐かしい店内をあちこち見歩きました

オランダ村04-4
片隅にはピザ窯が残っていましたがそういえば焼きたてのピザも出ていましたね

オランダ村04-5
なぜか会場内で歌っていた人もいましたが隣でCD&DVDを販売していたので何気に見ると「劇団ヒロシ軍」・・・昨年出島ワーフの「「長崎食べて飲んでみんね祭2013」でパフォーマンスを披露していましたっけ

オランダ村05
こちらは「手作り雑貨フェア」の会場ですが

オランダ村05-2
思ったほどには出店数も多くはありませんでしたね

オランダ村06
それにしても懐かしい光景ですね・・・「キャスビレッジ(cas village)」を別にすると旧オランダ村に来たのは何年ぶりでしょうか

オランダ村06-1
当時はこの桟橋から船で向こう岸に渡っていましたよね

オランダ村1988
ちなみにこれは1988年ですから今から26年前のオランダ村です・・・まだ3歳だった長男が親とはぐれたと思って泣き出しちゃいました(^^)


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2014年03月09日

珈琲専門店の思い出

時々書いている若い頃の思い出ですが今回は珈琲専門店です・・・今から35年以上前の学生時代はお金が無かった割にはホント毎日のように珈琲を飲みに行っていました

・当時はインターネットはありませんでしたから「美味しいお店」を知るのはほとんどが口コミでした・・・雑誌でも特集されていたのかも知れませんがほとんど買ったことはありませんから^^;
そんな中で銀座のソニービルに行った時に貰った「銀座の喫茶店」みたいな小冊子は結構役に立ちました

・その中で紹介されていた銀座で一番美味しい珈琲のお店と紹介されていたのが「カフェ・ド・ランブル」というお店だったので当然行ってみました・・・ネルでいれてくれる珈琲はホント美味しかったのですが、やはり20歳前後の若造が行くには場違いな雰囲気がありました^^;

・銀座の「和蘭豆(ランズ)」というお店もその本で知ったのですがカフェ・オレを注文するとテーブルまで珈琲とミルクが入った容器を持ってきてその場で高い位置から注ぎ入れてくれるのです
私自身はストレートしか飲まないので女性を連れて行くことが多かったのですが新婚旅行の途中では女房とも寄ったことがありましたね・・・聞くと今でも覚えているそうです(^^)

・そういえば学生時代に長崎に戻ってきたときに中通りに「和蘭豆」というお店がありました・・・入った事は無かったので読みも「銀座 和蘭豆」との関係も判りませんでしたが

・「カフェ・パウリスタ」は皿うどんを食べたくなった時に行っていた「吉宗(よっそう)銀座店」があるビルの1階にありましたね、当時は「ブラジルサンパウロ州政庁公認」とかいうキャッチフレーズでした・・・ここの珈琲は当然「ブラジル」のみでしたがポットで提供される珈琲はカップ3杯分くらいありお得でしたね

・ソニービル近くの「銀座能楽堂ビル」にあった「ルパン商会」も冊子で知ったのかな・・・このお店はかなり気に入ったので何度か通いましたが今はもうなくなったみたいです

・御茶ノ水は地元でしたしコーヒー専門店が多かったのでよく入りましたが中でも一番利用したのは「珈琲館」でしょうね、毎月10日(だったかな?)はサービスデーで一杯の価格で何杯でも飲んでよかったのですが最高で10杯以上飲んだこともありました・・・無論一人で居座り続けたのではなくサークルの仲間たちが入れ替わり立ち代り集まって飲んだのですが私は最初から最後までいましたね^^;

・その他御茶ノ水近辺で当時よく利用していた珈琲専門店は「珈琲茶館」「神田伯剌西爾」「dan」「茶論」「black&white」「古瀬戸珈琲店」「カラコルム」などたくさんありましたが現在残っているお店はあるのかな?

・新宿にあった「トゥモロー(tomorrow)」というお店も珈琲専門店でしたが、ここは朝まで開いていたのでオールナイトの映画を見た後などに利用していました・・・当時はネットカフェはおろかファミレスも無かったので朝まで時間をつぶすのは結構大変でしたね

書き出したらきりが無いですね^^;


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2014年02月16日

子供の頃の「食」の記憶

先日の記事で「長崎物語」の切れ端のことを書いたら昔の思い出がいろいろと蘇ってきました

・小学校高学年の頃ですから昭和30年代も終わりのころには何故かシールやワッペンが流行っていましたね、特にシールはいろんな商品に入っていましたが中でも記憶に残っているのは明治のマーブルチョコレートに入っていた「鉄腕アトム」のシールと丸美屋の「のりたま」「すきやき」に入っていた「エイトマン」のシールです

・子供の頃はまだ甘いものが好きだったので当然アイスクリームも好きでしたが小学校低学年のころまでは個人商店にはまだフリーザーが無くボックスで販売していたアイスキャンデーだけでしたね
その後店頭にアイスクリーム専用の販売機が置かれカップなども販売されるようになりましたが当時の一番人気は名糖の「ホームランバー」でしたがまだ販売しているのにはちょっと驚きました

・小学校高学年の頃近所にお好み焼き屋(泉商店)ができ「お好み焼き」「たこ焼き」「カキ氷」を日常的に食べることが出来るようになりましたね、それまでは「お好み焼き」は近くの駄菓子屋でも食べることが出来たのですがたこ焼きはあまり食べる機会はありませんでした

・カキ氷にシロップを掛けて食べるのが普通になったのもこの頃じゃなかったかな・・・ずっと小さい頃に近所にあったお店ではカキ氷に砂糖を入れたのを「だるま型」に固めただけのものを食べた記憶があります

・そういえば「フラッペ」なるものを学生時代に食べたことがありますが「カキ氷」とは全く違うものだとはそのときまで知りませんでした^^;

・「チリンチリンアイス」も子供の頃にはたまに食べていましたがほとんどが平和公園に出ていた屋台でした・・・先日行った時にはありませんでしたね

・当時の小遣いは一日10円でしたからチョコレートは遠足の時以外には「チロルチョコ」しか買えませんでした・・・小学生の頃には不二家の「ルックチョコレート」なども食べていましたが中学生になると当時発売されたあまり甘くない「エールチョコレート」が好きになりましたが高校生になると全く食べなくなりました^^;

・小学校低学年のころはキャラメルは「グリコ」より「カバヤ」をよく食べていたのは安かったのかな?少なくとも森永はほとんど食べませんでしたね

・お子様ランチの存在は知っていましたが偏食が激しかったので初めて食べたのは隣のおじさんに長崎くんちのときに長崎浜屋でご馳走になったときですがこれも小学校高学年の頃でした・・・多分子供の頃にはお子様ランチを食べたのはこのときだけでしょう

・だったらたまに親に長崎浜屋に連れて行ってもらったときに何を食べていたかというと以前も書きましたがラーメンかカレーライスでした(もしくは両方^^;)

・ラーメンを初めて食べたのは屋台が家の近所にやってきたときですが、それまで家族全員が「ラーメン」の存在は知っていましたがどんな食べ物か知らなかったのでお皿を持って買いに行きました^^; ・・・ですからテレビが我が家に来る前の昭和33年頃の話でしょうね

・子供の頃の夕食で母親がたまに作ってくれていたのを何故か「ランチ」と呼んでいましたが、要は大き目のお皿に揚げ物やハムやゆで卵などがいろいろ載っているだけなんですが当時はご飯をお皿で食べることは滅多に無かったので記憶に残っています・・・兄がどこからか仕入れてきた情報でフォークの裏にライスを載せるという食べ方もこのとき以来身についてしまいました^^;

・今考えても私の母親は料理が上手で一度外で食べたものを自宅で再現することができました・・・ですから福岡育ちなのにちゃんぽん・皿うどんは子供の頃から家で食べていました

この記事も折に触れ書き足していくのでまだ続きます・・^^;


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2014年01月14日

雪の思い出・・・その2

年が明けて日本各地で寒さと大雪がニュースを賑わせていますね・・・1年前にも書きましたが雪の思い出パート2です

・小学生だった昭和30年代には長崎でも時々大雪が降りました・・・雪合戦も良くやっていましたが一番記憶に残っているのは自宅の前にあった原っぱに近所の中学生が中心になって「かまくら」を作ったことですね

・私が通った高校は受験校だったのですが山の上にあり気温は平地より(体感で)数度低かったくらいですから雪も市内よりよく積もりました
あるとき数学の授業中にあまりの雪景色に学年主任でもあった深堀先生が「雪合戦しようか?」のひと言・・・無論みんな大喜びでテニスコートで雪合戦に興じました(^^)

・前回も書きましたが大学受験で上京した昭和47年の2月は東京も大雪でした・・・「さすがに北にあるから東京も雪が多いんだな」と思ったのですがその後はあまり大雪にはなりませんでしたね^^;

雪03
・学生時代の友人の親戚が長野の栂池でペンションを経営していたのですが、そこを仲間で数日借り切ってスキーをやったのがスキー初体験でした・・・もっとも私は初日に足を捻挫してしまったのでほとんど楽しむことができませんでしたが

雪01
・一時期群馬にある温泉のホテルに勤務していましたが、そこは冬はスキー場になっていましたから最初の頃はスキーもやっていました・・・でも2年目くらいからは準備が億劫になりもっぱら温泉に浸りっぱなしの毎日になりましたね^^;
そういえば仕事中は素足にサンダルを履いていました

・雪下ろしも何度もやりましたが屋根の庇より先まで雪があるので注意しないと一緒に落ちる可能性もありかなり怖かったです

・よくテレビでブルドーザーで雪かきをしている映像が流れますが、かなり熟練を要する作業でホテルの従業員で頼りにされていたのはかなりのお年寄りでした

長崎道・大村
長崎に戻ってからも雪の思い出はいろいろありますが、やはり一番強烈だったのは2010年年末の大雪の最中に福岡から長崎まで帰ってきたときの経験ですね・・・私は福岡の兄の家で酒を飲んだので娘が運転しましたが高速道路閉鎖の中で戻ってこれたのは奇跡的です^^;


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2014年01月11日

いろんなこと・・・随時更新

何やかや本などを読んで仕入れたことや昔の思い出などをとりとめもなく書き連ねますが備忘録みたいな記事で随時更新していくつもりです

・じゃんけんを使った遊びで「グリコ」というのがありますね、グーで勝ったら「グリコ」で3歩進みチョキで勝つと「チョコレイト」とかいって6歩進むそうです・・・私が子供の頃にも同じような遊びがありましたが当時はグーが「いし」で2歩、チョキが「はさみ」で3歩、そしてパーで勝つと何故か「ひらいたん」といって5歩進んでいました
この「ひらいたん」という言葉を友人に聞いても知っている人がいなかったので狭い地域だけの言葉なのかと思っていましたが元長崎県立図書館館長の永島正一さんの著作に記されていました・・・「ひらいたん」とは「平油単」が訛った言葉で風呂敷の意味があるそうですね、「油単」とは箪笥などを覆う布だそうです

・ですからじゃんけんを「グーチョキパー」と呼ぶのを知ったのは福岡の従兄弟の家で見たテレビ番組「グーチョキパー」が初めてでした

・「じゃんけんぽん」というのを男の子仲間で言う時には「じょすこいちっ」と言っていましたね

・ちょっと前の記事で書きましたが鯖の押し寿司である「バッテラ」はネットや事典で調べたのをまとめると「大阪の鮓常(すしつね)」という寿司店が明治26年(1893年)に最初はコノシロで売り出した」とありますが、長崎文献社の嘉村國男さんの著作によると「文久2年(1862年)に玉川亭という料亭の2代目主人藤井静治という人がフナ鮨からヒントを得て考案したとありました・・・何と70年近い開きがあるんですね

京屋
・この「京屋老舗」というカステラ店の名前は初めて見ましたが何と歌舞伎座にもお店を出していたみたいですね・・・ネットで調べてもこの大村の「三城カステラ」のご主人の経歴しかヒットしません

特産品コンクール01
・昭和26年に長崎日日新聞(現在の長崎新聞)が主催した「県下特産品コンクール」ではカステラの中では一番人気だったみたいです

・よく「卵は物価の優等生」と言われますね・・・50数年前におつかいで卵を買いに行った頃には卵はばら売りで大きさによって価格が違っていましたが1個10円前後でした
現在もスーパーの特売では10個で98円あたりで販売されることがありますがちょっと安すぎる気がします




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2013年09月10日

「1964東京オリンピック」の思い出・・・その1

2020年の「東京オリンピック」開催が決定しましたね・・・今から7年後ということは私は年金生活に入っていますがそれだけで暮らしていけるのかな?ちょっと不安がよぎります^^;

前回の東京オリンピックがあったのは1964年ですから今から47年前、私は小学校5年生でしたからそれほど覚えてはいませんが記憶に残っているのをいくつか書いてみます

・東京オリンピックというと先ず思い出すのはちょうど運動会の時期と重なっていたので毎日のように聞いていたオリンピックの歌ですね、最近安部総理がオリンピック招致の演説の際にちょっと歌ったと話題になりましたがこの歌の題名が「海を越えて友よきたれ」と歌詞の冒頭と同じだったとはこのニュースで初めて知りました(^^)

♪海を越えて友よ来たれ 明け渡る山に川に
若さ溢れ力溢れ より速くより高くより強く
大地蹴る響き高く あ〜あ〜東京 東京オリンピック♪

今でも歌詞を覚えているくらいですからよっぽど聞かされたのでしょう

もうひとつ三波春夫さんが歌った「東京五輪音頭」というのもありましたがこれは運動会の時に5年生全員で(嫌々ながら)踊ったのですよね、だから歌詞も当然覚えていますが私は嫌いだったので書きません^^; 
この運動会の時に6年生は「ワシントン広場の夜は更けて」という歌にあわせてフォークダンスを踊ったのですがクラスの中では羨ましがる男子生徒が大半でした・・・何せ女の子と踊るなんて滅多に無かったですものね(^o^)

・今と違って情報量が圧倒的に少ない時代でしたからテレビで特集番組を見た記憶は残っていませんし新聞もまだそれほど読んでいなかったので「東京オリンピック」に関する事前情報はほとんどが「少年マガジン」「少年サンデー」などの週刊誌でした・・・当時のマガジンサンデーは漫画以外の記事も多かったのです。
それで知った金メダル候補というと柔道の4選手をはじめ水泳・自由形の山中選手、バレーボールの「ニチボー(日紡)貝塚(実際は控えに他のチームの選手もいたので「全日本女子チームだったのですが)」、体操の小野・遠藤両選手、レスリングの「アニマル」渡辺選手、重量挙げの三宅選手あたりだったでしょうか

・柔道は軽量級の中谷選手と中量級の園田選手は金メダルが確実視されていましたし実際圧倒的強さで金メダルを取りましたね。重量級の猪熊選手のライバルはカナダのロジャース選手との決戦になると予想されていました(雑誌でも当時拓殖代の監督だった木村政彦さんに完敗した後に弟子入りしたロジャース選手の特集記事がありました)が結果は猪熊選手の優勢勝ちでした。重量級は圧倒的にヘーシンク選手の下馬評が高かったのですが雑誌では「神永選手はこうやってヘーシンク選手を倒す」と期待+希望の内容でしたが残念ながら決勝で1本負けでした

・前回のローマ大会で活躍したので当時かなり期待を掛けられていたのは水泳の山中毅選手と田中聡子選手でしたが、残念ながらメダルには届きませんでした・・・たしか田中選手が出場した女子200m背泳ぎは当時の正式種目ではなく当時あった「開催国特典」で柔道とともに採択された競技でしたよね

・陸上女子80mハードルの依田郁子選手も印象に残っていますね、何せこめかみに絆創膏を貼っていたし試合前にはとんぼ返りをやっていましたから・・・でも陸上短距離で決勝まで進んだのは依田選手以降いましたっけ?

・自宅でも当然見ていましたが授業中でも何度かテレビ中継を見ましたね・・・小学校では各クラスにテレビがあったのですが、中学・高校ではありませんでしたから中学3年生の時にはメキシコオリンピックのサッカーを音楽室みたいなところで見た記憶があります

書き出すと止まらなくなりますね^^; 長くなりそうなので続きはそのうち書くつもりですm(__)m


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2013年08月22日

藤圭子さんが死去

元歌手の藤圭子さんがマンションから転落死したというニュースには驚きました・・・しかも自殺の疑いが濃いそうですね

 22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子さん(62)があおむけの状態で倒れているのが見つかった。警視庁新宿署によると、藤さんは病院に搬送されたが、頭などを強く打っており間もなく死亡した。

 マンション13階の一室に藤さんの知人の30代男性が住んでおり、ベランダにスリッパの片側が落ちていたことなどから、同署は藤さんが男性宅を訪れていて飛び降り自殺したとみて、詳しい経緯を調べている。遺書などは見つかっていないという。 
              産経ニュースより

最近は宇多田ヒカルさんの母親として知られていますが私が高校生のころは独特の歌声と抜群の歌唱力で一世を風靡した歌手でした

代表曲といえばデビュー曲の「新宿の女」や「♪女ですもの恋をする〜♪」の「女のブルース」それに過去に何人も歌ったのに新たな歌詞でヒットさせた「圭子の夢は夜ひらく」あたりでしょうが、私としてはやはり「命預けます」が一番印象に残っていますね・・・ちなみに「夢は夜ひらく」は緑川アコバージョンが一番好きです(三上寛バージョンも好きですが^^;)

高校3年生の時ですから昭和46年の紅白歌合戦では当時前川清さんと結婚していたのですが彼が急病のため紅白歌合戦に出場できなくなりましたね、その時に何とクールファイブをバックコーラスに「港の別れ唄」を唄ったのには驚きました

その後しばらくヒット曲がなかったのですが大学生の頃に歌った「京都から博多まで」は好きでしたね・・・この歌には思い出がいろいろあります(T_T)



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