ノスタルジー

2016年11月16日

ノスタルジックな「昭和本」(^^)

先日ブログにリンクを貼らせていただいている「千々石(ちぢわ)deその日暮らし」さんの記事を読んでいると懐かしい子供時代の事象を書いた本があるらしいので図書館から同じようなジャンルの本を含めて借りてきました

昭和本01
これがブログで紹介されていた「昭和のあの頃ぼくたちは小学生だった」ですが著者の「かねこたかし」さんは昭和17年生まれだそうですから私より10歳ほど年上になりますね

昭和本01-1
ですから私の小学生時代の思い出と若干差異がありますね・・・例えばこの「手押しポンプ」の場合、私の家にはまだありましたが各家庭に水道が配管されていたので使うのは風呂に水を張ったり水撒きをする時くらいでした

昭和本01-2
家庭用の配置薬にしても小学生の頃にはもう利用していなく空き箱を小物入れとして使っていましたね

昭和本01-3
紙芝居も小学生低学年の頃くらいまでしか見かけませんでした・・・記憶にある「飴」は平板みたいな飴に図柄が描かれていてそれを針で上手に切り取ると「おまけ(?)」が貰えるというパターンでした

昭和本01-4
「ちゃぶ台」があったのは何歳位までだったのかな?・・・何せ我が家は(父親の事情があり)近所でも一番早くテーブル+椅子での食事を始めていましたから多分小学校低学年まででしょうか
でも本文の中に、「ちゃぶ台は”丸い”とイメージが強いけど、それは漫画『サザエさん』の影響で、実際には”角ちゃぶ台”が多数だった。」とありますが本当でしょうか?私は四角のちゃぶ台と言うのを見た記憶が無いのですが・・・
調べるとウィキペディアにもほぼ同じ文章がありました

昭和本02
それらの種本はどうやらこの「ちゃぶ台の昭和」という本みたいですが「サザエさんによくちゃぶ台が登場する」ことは書いていますが「そのせいで丸いイメージが出来た」などとは書いていませんね
ただこの中のコラムで上記の文章がありましたからこれを丸写ししたみたいです・・・ただし数字的なものは一切なく多分筆者の印象を元に書いた文章みたいでしたが私的には四角の座卓を「ちゃぶ台」と呼ぶ人がいた記憶は無いですね

昭和本02-3
何より「ちゃぶ台」は「卓袱台」と書くので卓袱料理との関連で丸テーブルになったのではないかなと思うのが自然でしょうが・・・残念なことにこの筆者の方は「卓袱料理」についての知識はほとんど無いみたいでした(^^;

昭和本03
図書館ですぐそばにあった「ぼくらの60〜70年代熱中記」というのも借りてきました

昭和本03-2
この作者の方は私より4歳年下ですからまぁ似たような時代ですよね
この「ハレンチ学園」の連載が始まったのが1968年だそうですから私は中学生でしたから小学生の筆者より多分夢中になったでしょうね(^^;

昭和本03-3
「小柳ルミ子」「天地真理」「南沙織」がデビューしたのは高校3年生の頃でしたね
私はこの当時から「アイドル」には興味が無かったので大学時代に同じ下宿にいた「小川君」の天地真理好きが信じられませんでした(^^;

昭和本04
この「昭和浪漫図鑑」を書いた「町田忍」という方は私より3歳年上ですから兄と同学年です

昭和本04-2
ですから目次を見ても「昭和のあの頃ぼくたちは小学生だった」よりは実体験に近いですね

昭和本04-3
駄菓子屋はあちこちにあり私の小遣いも5円か10円でした・・・ちなみに私が住んでいた地区では駄菓子屋さんに入るときには「も〜し〜」と言っていました(^^;



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2015年08月21日

「海水浴」の思い出

昨夜の「ケンミンショー」では「海なし県」の人たちの海水浴へのあこがれを紹介していましたね・・・番組を見ていると数十年前の海水浴の思い出が蘇ってきました(^^)

・小学校時代の夏休みは当時の一番人気だった「ねずみ島」に当然通いました・・・各小学校で参加者の募集も行っていたのですが私が通っていた「西城山小学校」では大体クラスの4分の1くらいが参加していたのかな?
ネットでは「当時の子供たちはほとんどが参加していた」と紹介しているのもありますがそんなことは無かったですね・・・女房も行ったことはなくクラスで参加していた人も記憶にないと言っているくらいです(^^;

・「ねずみ島」では水泳教室も行われていたのですが普通の海水浴客用の砂浜もありました・・・私の仲間たちは「昇級試験」など受けずに一般用で泳いでいたのでずっと一番の初心者である「丁」のままでしたね

・大波止から船に乗って通ったのですが乗船証は首から下げた木札でしたね、この札の紐の部分に5円玉を何枚も通して持っていくというのが当時のスタイルでした・・・何せバス代は小学生だと5円でしたし「ねずみ島」での売店でも5円か10円でいろいろ販売していましたから5円玉は役に立ったのです(^^;

・町内などの催しで「海水浴」に行く場合はやはり「東望の浜」が多かったのじゃないでしょうか・・・現在はジャスコ東長崎店などがあり当時の面影は全くありませんが

・家族で行く場合は圧倒的に「福田遊園地」が多かったと思います・・・何せ当時は自家用車など無いので移動はバスでしたから自宅から一番近い「福田」が多かったのでしょう

・「福田遊園地」ですから遊具もいろいろあったのですが子供時代の私の一番のお気に入りは「海水プール」でした・・・桟敷もあり海もあったので「海水浴」も楽しめたのですが(^^;

・市内中心部に住んでいた女房が良く行っていたという「高浜」「岳路」の海水浴場には子供の頃には多分訪れたことは無いと思います

・小学生の頃には学校にプールが無かったので夏休みに最初に泳ぎに行くのは海でしたから「日焼け」は大変でしたね・・・夜がつらく扇風機をかけながら寝るのが毎年の恒例でした
中学・高校にはプールがあったので最初にプールである程度体を焼いてから海に行ったのでかなり楽になった記憶があります

・一度だけ宮摺海水浴場に行ったことがあるのですがあそこの浜は「砂」じゃなく「石」なんですよね・・・海に行くまでが滅茶苦茶熱かったのが今でも記憶に残っています

・高校3年生の時に初めて「脇岬」に行きキャンプをしましたっけ

・東京に住んでいた学生時代には一度だけ仲間と「江の島」に泳ぎに行ったことがありますね
防波堤みたいな場所からビーチまで2〜300m泳いだのですが思った以上にきつかったのには愕然としました(゜o゜)・・・やはり健全に過ごした高校時代とは異なり酒とタバコのせいだったのでしょう
一番の思い出はyokoの妹の水着のブラが目の前で外れたことでしょう(^^)

まだまだ思い出は数多くあるのでこの記事はこの先もっと「追記」があるかもしれません(^^;


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2015年04月19日

ビデオの予約録画ができない(゜o゜)

先週から新シリーズが始まった「ブラタモリ」は以前と違い午後7時半からの放送になったのですよね・・・昨日は帰りが午後8時くらいになりそうだったので久しぶりに予約録画をしようと思ったのですが

考えるとテレビ番組を録画すること自体かなり久しぶりですし、ましてや「予約」をするなんて果たして何年ぶりになるのか思い出せないくらい久しぶりですね(^^;

ビデオ
ですからビデオのリモコンを手にしていろいろ操作してみたのですが予約録画のやりかたが全く判りませんでした(T_T)
現在メインで使っているビデオはHDDに録画するようになっていますが購入以来操作するのは女房と娘くらいで私は触ったことが多分一度もないでしょうね・・・しょうがないので女房に頼んで予約録画してもらいました(^^;

ちょっと「ビデオ」の思い出を少し・・・

・最初にビデオを購入したのは結婚してからまもなくの頃でしたが当時はまだ「ベータ」機器もありどちらにしようか考えましたね

・子供が小さい頃は子供用の「アンパンマン」「おかあさんといっしょ」「戦隊物」などを録画していたのはビデオとして販売されていなかったせいもありました

・当時のビデオカセットはコンビニなどでは1本売りでしたからホームセンターなどで3本パックを購入していましたが大体1,000円くらいでしたっけ

・一時はアニメやスポーツ番組など自宅に数百本の録画したビデオがありました・・・子供たちが大きくなった時にほとんどを処分したのですがあまりに量が多かったので自分で「三京クリーンセンター」に捨てに行きましたね

・一時予約録画をするために新聞のテレビ欄にも「Gコード」というのが載っていたのですがいつの間にかなくなっているんですね・・・たぶん私が最後に予約録画したのもこの「Gコード」を使ったのじゃないかな(^^;

・女房はいまだに古いビデオも愛用しているみたいです


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2015年04月09日

何気に学生時代の旧友に電話した・・・

先日書いた「中村小山三」さんが亡くなった記事の続きかな?

記事を書いた後何となく思い出話でも話そうかと遠く岩手に住む旧友のカメに電話してみました・・・最後にあったのはもう30年以上前になるのでしょうが電話で話をするのもかなり久しぶりです

・電話をかけて「カメか?」と言っただけで私だと判ったのはそんな昔のニックネームで呼ぶのもそんなにいないのでしょうね(^^; でもいきなり「『花のもとにて春死なん』の和歌の全文は何といったっけ?」と聞かれたのはちょっとビックリ(゜o゜)
話をするとやはり「小山三」さんが亡くなった話につながっていて「華がある人だったから春に亡くなるのがふさわしい」とのこと 

旧暦
・なるほどなと思いつつ「神社庁暦」で調べると小山三さんが亡くなった4月6日は旧暦の2月18日なんですね・・・「望月のころ」の15日からは少し遅れましたがほとんど西行法師の「願わくば花のもとにて春死なん その如月の望月のころ」でした

・カメは公務員を定年退職した後は自宅である岩手の小さな町のお寺で生臭坊主をやっているのでしょうが話す口ぶりは昔のまま・・・若いころから年寄じみていたので現在も風貌は変わらないでしょうね

・久しぶりに話をしたカメの奥さんのチュンも昔の仲間でホント小さくて可愛いイメージしかないのですが考えてみると彼女も還暦・・・会いたいような会うのが怖いような(^^;

・カメやチュンも含めて当時の仲間たちはいまだに仲が良くて「メーリングリスト」などで近況を知らせてくれているのですが全員「アラカン」・・・みんな元気でたまに飲み会などで集まっているのには感心します

・以前長崎に来たことを記事にした「mori」や「ヨーコ」、さらには時々コメントをくれる「魔血呼」なども一緒の仲間でしたが長い人生の中でわずか3〜4年しか一緒の時を過ごしていないのに忘れ得ない人たちです・・・それに比べると仕事の同僚は10年以上一緒にいても「他人」ですね(^^;

・「他人」といえば「小山三さん」が行きつけだった六本木のスナック「ボコ(だっけな?)」の今で言う「ニューハーフ」ぽかった男性の「他人の関係」の振りは今でも記憶に残っていますね・・・このお店での小山三さんは本名でしたっけ

・このお店では和田アキ子さんや研ナオコさんにもお会いしたことがありましたが和田アキ子さんにお酒をいただいていた先輩の「イケベ」さんはどうしているのかな?

・以前も書きましたが小山三さんに最後に会ったのは品川駅の連絡通路でしたね
私が当時勤務していた会社の同僚と「キオスク」で日本酒を立ち飲みしていた時に後ろから肩を叩かれたのでした・・・あれからもすでに37〜8年経っているのですがいまだにその時の小山三さんの笑顔は忘れられません

・そういえばこの記事を書いている今日4月9日はチュンと同い年だった「ひー子」の命日なんですね・・・以前33回忌の日に記事を書いたことがありますがあれから7年くらい経つのでもう40回忌くらいかな・・・彼女が生きていた期間よりその後が倍くらい長くなっちゃいました(T_T)

なんだか今回はいつも以上にとりとめのない記事になってしまいました(^^;


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2015年03月28日

「線路は続くよどこまでも」の原曲って?

娘が見ていたテレビ番組で懐かしい曲が流れていたので別のテレビを付けてみました・・・「クイズ 正解は出さないで」という番組でしたが年度末の特別番組みたいですね

その中で「線路は続くよどこまでも」の「原曲」だという聞いたことが無い歌詞を歌い「この続きはどうなっているでしょう」とあり最後に「ツルハシを置いて死ぬ」みたいな歌詞が正解だとか言っていました・・・まぁこの番組はクイズの答えよりそれを回答者が悪戦苦闘する姿を見せるのが目的みたいですが

でもテノール歌手の人が歌い上げていたのは原曲じゃないですよね・・・よく知られている「線路は続くよどこまでも」とは多分別の誰かが翻訳した歌詞でしょう
私たちの世代の人たちは子供の頃テレビで放送されていた「テキサス決死隊」の主題歌の元歌というのは知っていると思いますが「みんなの歌」で翻訳された歌詞が流れたのはその何年か後でしたね
ですから原曲も何度か聞く機会がありましたし「中学コース」という雑誌の付録でもアメリカ民謡の歌詞とかで原曲の歌詞も載っていましたから覚えたりしましたね

何せ50年くらい昔の記憶ですからあやふやですが原題は「I've been working on the railroad」といいましたね、ですから問題にあった原曲の題名(確か鉄道仕事」とか言いましたっけ?)の紹介から間違えています
この歌の一番盛り上がるところは「Dyna blow your horn」という歌詞の繰り返しから「someone's in the kitchen with Dyna」と続き「・・・on the old banjo and singin'」の後「フィーファイフィディアイオー」と大合唱・・・

私が群馬県のホテルに勤務していたときに仲良くなったカナダ人のダンサーたちともホテルの居酒屋でこの歌を一緒に歌い盛り上がったものです・・・カナダの人たちは歌の途中で「ポッポー」という合いの手を入れたりしていました(^^)

クイズの問題を考える人はどこから変な歌詞を探してきたのでしょうね・・・でも英語のスペルを確かめながら記事を書くのは時間もかかるし面倒ですね^^;



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2015年03月25日

ストリートビューでさるく杉並区和泉3丁目

高校を卒業して大学に行くために上京しましたが、最初に一人暮らしをはじめたのは杉並区の和泉3丁目という井の頭線の永福町駅周辺の町でした・・・大学の学生課で紹介された下宿に住むことにしたのです

この町には4年間過ごしたのですが考えてみるとその後東京に行く機会があっても再訪したことはありませんね・・・そこでグーグルのストリートビューで現在はどんな様子なのかを見てみることにしました

和泉
ここは永福町駅からの道と地下鉄方南町駅からの道が交差する「大宮八幡入口」交差点付近ですがとんかつ専門店の「一冨士」やサッポロラーメンの「狸小路」はいまだに営業しているみたいです
どちらの店も数回しか利用したことはありませんでしたがかなり懐かしいですね・・・何しろ長崎に住んでいたころは「とんかつ屋」「ラーメン専門店」というのが身近にあるお店じゃありませんでしたから最初は敷居も高く感じました^^;

和泉01-2
それに比べるとこの「草むら」(場所が変ったかな?)は何の変哲も無い中華屋さんでしたから銭湯に行くついでに何度か立ち寄りましたが、この店の「メンチカツ」は独特の製法でかなり美味しかった記憶があります・・・そういえば「ばん」という炉辺焼きのお店はどうなったのでしょうか?

和泉02
交差点から永福町駅に向って少し進んだところに4年間過ごした下宿があったのですが現在は建物が変っています・・・でもこのダンススタジオは下宿の主「永井さん」と関係があるのかな?

和泉02-1
そういえば毎日歩いていた道にこのお寺や変電所がありましたっけ・・・当時は全く関心が無かったので立ち寄ったこともありませんが^^;

和泉02-3-2
駅に向う道がかなりきれいになっていますが一方通行になっているみたいです
左手に見える「あさか屋」という寝具店はここで住むことが決まって最初に布団を購入したお店かな?
ここの近くにお茶屋さんがあり店頭で毎日作っていた「ほうじ茶」の香りも懐かしいですね

和泉02-2-2
通りの途中にあるこの「太陽」という大衆中華料理店は私が今まで食事をするために利用した回数が(圧倒的に)一番多いお店でしょう(^^) 
私がこの町に住み始めたころにオープンしましたからもう40年以上営業を続けていることになりますがご主人&奥さんはいまだに元気なんでしょうか・・・街中にある普通の中華屋さんでしたがホントお世話になりましたねm(__)m

・そういえば風邪を引いて動けないことを同じ下宿に住んでいた友人に聞いたときには、わざわざご主人が歩いてカレーライスを下宿まで持ってきてくれましたっけ(T_T)
・お店は好きでしたけどこのお店のラーメンは典型的な東京の醤油ラーメンで私の好みの味には程遠かったですね・・・そこで勧められた「タンメン(湯麺)」を食べたところこれはかなり気に入りその後は東京の中華屋さんではタンメンを注文するようになりました
・一番注文したのは安くて満腹になる「野菜炒め定食」か「焼きそば+半ライス」でしたが当時の価格で300円くらいだったかな?
・本当にお金がないときは「野菜スープ+半ライス」でした^^; でもライスはかなりの量をサービスしてもらっていました^^;
・「タンメン」もですが「広東麺」「ワンタンメン」や「レバニラ炒め」など東京のお店では普通にあるメニューを知ったのもこのお店が最初です

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多分この「名品ストア」では例の「トイレットペーパー」騒ぎの時に一度だけ利用したと思います

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店の雰囲気はかなり変っていますがこの「グリル マリノ」も何度か利用したお店でしょう

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駅前近くまでやってきましたがこのパチンコ屋さんは以前の「永福会館」かな?
数ヶ月間ですがアルバイトしたこともありましたね^^;

和泉03
永福町駅前にある「大勝軒」は長崎にも支店がある池袋「大勝軒」とは違う系列ですがこのお店も「大盛り」で有名でした・・・ただし私はこのお店のラーメンは好みに合わなかったので一度しか食べたことがありません
子供の頃から好きだったラーメンですが東京に行って驚かされたのは地域によって味に違いがあるということでしたね
ですから他人が美味しいと言ってもそれが私にとってどうなのかは食べてみないと判らないとこの頃から思うようになりました

さて次はどこを見て回りましょうか(^^)


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2015年02月08日

花園町から若草町をさるきました

今回もノスタルジー&ローカルネタです^^;

花園01
「セブンイレブン花園店」の脇の道から入っていくと中学生時代に友人の「安部」が住んでいたアパートがきれいになっていますね

花園01-2
途中の露地を見ると以前は小さな家が並んでいた場所にマンションやらアパートが建っています

花園02

花園02-2
「西城山西部校区公民館」の前を通り過ぎると小学校時代の同級生の自宅だった大きな家がありますが表札は変わっていませんね・・・小学校から高校まで一緒だった「千原」は東京にずっと住んでいるのかな?

花園02-3
細い道を抜けてバス通りに出ましたが右手には「立岩神社」があります

花園02-4
そこを左に進むとやはり中学生の頃の同級生の家があった場所が見えます

花園02-5
交差点の上には小学校時代には「エハラパン」の工場があり後に「長崎物語」工場になりましたが工場見学に行ったのはどちらの時代かな?

花園03
坂道を下っていくと「秋月園」の名前があちこちに見えますね(^^)

花園03-2
この「秋月園」が運営していた「お茶屋さん&カフェ」である「ふたつの葉」も以前はテレビや新聞で紹介されていたのですが「浜町アーケード」に新店舗ができてからはやっていないのかな?

花園03-3
右手にあるのは「富士見公園」です・・・ここには第2公園というのが階段を上がった所にありソフトボールをやりに来ていましたね

花園03-4
「そば新」でランチを食べた後に改めて若草町方面に進みます

花園04
途中にある「立岩橋」から若草町になりますね・・・この橋の横にも小学校時代の遊び友達(1学年上)の自宅である中華料理店があったのですがずいぶん前に無くなりました

花園04-2
子供の頃には何度も訪れた光景です

花園04-3
私の父親の頃からある「堂口酒店」はいまだに営業を続けています・・・そういえば30年ほど前に私の長男が生まれたときにはお祝いも頂きましたっけ^^;

花園04-4
ずっと以前は「西城山市場」だったのですがその後「若草ストア」になり結局は閉店・・・その隣にある「あわたや金物店」も父親の行きつけでした

花園04-5
この「平山衣料」というのはたしか「貸本屋」もしていましたね

花園04-6
軒並み店を閉めている中で「柳園」というお茶屋さんだけ以前からあるみたいです

花園04-7
「若草ストア」の反対側ですが小学生の頃は「西城山市場」で同級生の実家もこの中で化粧品店をやっていましたね

花園04-8
このビルも色が一緒なのは同じ系列だったのかな

花園04-9
ここから右手の「防空壕」あたりの景色はあまり変わっていないような気がします^^;



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