ノスタルジー

2018年06月19日

小学校の卒業アルバム(^^;

小学校から高校まで同じ学校に通った友人「M」から電話がありました

ちょっと事情があり小学校の時のクラスメートのフルネームを知りたいそうなのですが「名前を覚えていないか?」という問い合わせでした
Mは長く地元で商売をやっていたせいもあり10数年までは付き合いがあったそうなんですが私は50年以上会っていませんから名前など憶えていませんね・・・でも小学校の卒業アルバムを持っていたので名前を調べるのは簡単なので調べて教えてあげました

アルバム01
でも小学校の卒業アルバムを開いたのは何年振りでしょうね(^^;
「長崎市立西城山小学校」を昭和41年3月に卒業したのですが開校が昭和33年ですから私は8回生なのかな?
何せ城山小学校の生徒が多過ぎたので新たに設置された小学校でしたから開校と同時に2〜6年生までが城山小学校から移ってきたそうです・・・ちなみに私の兄は小学校2年生の時に移ったと言っていました(^^;

アルバム01-2
学校の見た目は現在とあまり変わらないみたいです・・・でも当時は各学年6クラスありましたから全部で24クラスあったのに対して現在は学年2クラスくらいしかないのに建物の大きさは一緒なんですね(^^;
改めて「校歌」も見ましたが作詞は島内八郎さんなんですって

アルバム02
「島内八郎めもあーる」などの著書がある郷土史家&歌人です

アルバム01-4
各クラスごとの集合写真以外はこの1ページのみが「思い出」の写真です・・・まぁ当時は写真を撮影すること自体が一般的じゃなかったのですからしょうが無いでしょうね(^^;
修学旅行は「雲仙」でしたが宿泊先は「青雲荘」かな?

アルバム01-3
こちらが私のクラスの集合写真ですが当時は1クラス40数人いました・・・男子はともかく女子の顔と名前が一致しませんね(^^)


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2018年03月10日

「城山市場」の解体工事&神の島プールは休館日

以前の記事へのコメントで「城山市場が解体中」とあったので確認をしに行ってきました

城山市場01
こちらが「ジョイフル長崎城山店」の裏手に古くからある「旧城山市場」ですが大きな通りに面していないので滅多に建物の前を通ることはありませんね・・・ですから教えていただかなかったら解体工事にも気付かなかったでしょう

城山市場01-2
かなり以前から市場の中は空っぽでしたが何故かそのままの状態でずっと残っていたのです

城山市場01-3
昔の市場ですから2階は居住空間だったのでしょうね

城山市場01-4
こちらの写真は6年ほど前に撮影したものですが結構趣がある看板が多くできれば長崎市が買い取ってこのまま「昭和の市場」として保存してくれないかなと思ったりもしたのですが(^^;

城山市場02
私が子供だった頃は城山町2丁目に住んでいたのですが当時は近所にそれほどお店が無かったので内科の「藤原医院」外科の「朝永医院」などの病院や「杉本理髪店」などこの市場があった城山町1丁目付近によく来ていましたが「市場」は自宅寄りに「八幡市場」というのがありましたし、その後城山町2丁目内に「西城山市場」や町名変更後に「花園市場」というのが出来たのでこの城山市場には来たことがありませんでしたね・・・ちなみに「八幡市場」「西城山市場」はずっと以前に閉鎖されましたが「花園市場」は2店舗しか残っていませんがまだ営業を続けています(多分)

城山市場02-2
この市場が建てられたのがいつなのかは知りませんが多分昭和30年以前でしょうから築6~70年の歴史ある「昭和の建物」が解体されています・・・まったくニュースにはなりませんし気にする人もほとんどいないでしょうが(T_T)

城山市場02-3
そういえばこの城山市場の外側に酒まんじゅうで知られた「ごん屋」というお店があるのですが

城山市場02-4
この日は定休日だったのですがどうなるのかな?

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ふと思い立って今年の1月にオープンした「長崎市民神の島プール」に行ってみることにしました・・・無論この時期にいくら温水とはいえプールを利用するつもりは無く目的は「風呂」です

神の島プール01
場所は以前「四郎ヶ島台場跡」に行った時に建設中の様子を見ようと思い「神の島工業団地」に寄ったので判っていましたが近付いて見ると何やら閑散としています

神の島プール01-2
何とこの日は「休館日」でした(゜o゜) ・・・まさかプールに休館日があるとは思ってもいませんでしたね(^^;

神の島プール01-3
一応入口のガラス戸から中を覗いてみました(^^;

神の島プール01-4
風呂の様子は判りませんがプールはよく見えます

神の島プール01-5
ここらあたりが私たち夫婦が利用するかもしれない「ウォーキング」のコースみたいですね・・・でも最近の傾向からしても温水プールを利用するのは「水中歩行」を楽しむお年寄りが多いのですから諫早の「のんのこ温水センター」や「月の丘温泉」みたいに流水プールにすれば良かったのにと思いますね

神の島プール01-6
この建物の2階が「入浴施設」なんでしょうが中の様子は全く判りません(^^;
でも完成した時から疑問に思っていたのですがこんな近所に住宅地が無いような工業団地の中にプールや入浴施設を作って利用者はいるのでしょうか?

神の島プール02
こちらがメインの「燃やせるごみの焼却施設」である「西工場」ですが申し込めば「見学」もできるそうですね


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2017年04月08日

フォークシンガー「加川良」さんが死去(T_T)

4/5にフォークシンガー・加川良さんがお亡くなりになったそうですね

加川良

ヤフーニュースでも報じられていましたが私が東京で学生生活を送っていた頃には「フォークソング」の第一人者でした・・・でも女房も知りませんでしたし一般的にはそれほど知られていなかったのかな? 

・死亡記事を見ると「教訓機廚代表作みたいに書かれていますがそれ以外の歌は全く触れていませんね・・・まぁ記事を書いている人も実際の歌を聞いたことはほとんど無いのでしょうが

・69歳だったそうですが高田渡さんほどじゃないにしろ亡くなるのが早過ぎますよね(T_T)

・最初に聞いた加川良さんの歌はピート・シガー(?)の歌を翻訳したという「小指ちゃん」でしたね・・・そういえば元歌を聞いてみたいと思っていたのですが結局聞けずじまいでした

・♪東京の朝ここにありますと〜♪ の「東京」や ♪もしも僕が薬指なら君は小指よ〜♪ の「小指ちゃん」 ♪パンとラーメンで、パンとラーメンで、毎日パンとラーメンじゃ〜♪ という「悲しい気持ちで」(この唄は元々シバの歌でしたよね・・しかもこの歌詞は3番だし(^^;)など好きだった歌はたくさんあります

・でも一番好きだったのは「♪君は君のことが好きでありますように〜僕は僕のことがすきでありますように♪」の「流行歌」という歌です

 
先日も行った「住吉のJR線路沿いの桜」の動画を撮りましたが流れている歌は「流行歌」の歌いだしの部分です



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2016年11月16日

ノスタルジックな「昭和本」(^^)

先日ブログにリンクを貼らせていただいている「千々石(ちぢわ)deその日暮らし」さんの記事を読んでいると懐かしい子供時代の事象を書いた本があるらしいので図書館から同じようなジャンルの本を含めて借りてきました

昭和本01
これがブログで紹介されていた「昭和のあの頃ぼくたちは小学生だった」ですが著者の「かねこたかし」さんは昭和17年生まれだそうですから私より10歳ほど年上になりますね

昭和本01-1
ですから私の小学生時代の思い出と若干差異がありますね・・・例えばこの「手押しポンプ」の場合、私の家にはまだありましたが各家庭に水道が配管されていたので使うのは風呂に水を張ったり水撒きをする時くらいでした

昭和本01-2
家庭用の配置薬にしても小学生の頃にはもう利用していなく空き箱を小物入れとして使っていましたね

昭和本01-3
紙芝居も小学生低学年の頃くらいまでしか見かけませんでした・・・記憶にある「飴」は平板みたいな飴に図柄が描かれていてそれを針で上手に切り取ると「おまけ(?)」が貰えるというパターンでした

昭和本01-4
「ちゃぶ台」があったのは何歳位までだったのかな?・・・何せ我が家は(父親の事情があり)近所でも一番早くテーブル+椅子での食事を始めていましたから多分小学校低学年まででしょうか
でも本文の中に、「ちゃぶ台は”丸い”とイメージが強いけど、それは漫画『サザエさん』の影響で、実際には”角ちゃぶ台”が多数だった。」とありますが本当でしょうか?私は四角のちゃぶ台と言うのを見た記憶が無いのですが・・・
調べるとウィキペディアにもほぼ同じ文章がありました

昭和本02
それらの種本はどうやらこの「ちゃぶ台の昭和」という本みたいですが「サザエさんによくちゃぶ台が登場する」ことは書いていますが「そのせいで丸いイメージが出来た」などとは書いていませんね
ただこの中のコラムで上記の文章がありましたからこれを丸写ししたみたいです・・・ただし数字的なものは一切なく多分筆者の印象を元に書いた文章みたいでしたが私的には四角の座卓を「ちゃぶ台」と呼ぶ人がいた記憶は無いですね

昭和本02-3
何より「ちゃぶ台」は「卓袱台」と書くので卓袱料理との関連で丸テーブルになったのではないかなと思うのが自然でしょうが・・・残念なことにこの筆者の方は「卓袱料理」についての知識はほとんど無いみたいでした(^^;

昭和本03
図書館ですぐそばにあった「ぼくらの60〜70年代熱中記」というのも借りてきました

昭和本03-2
この作者の方は私より4歳年下ですからまぁ似たような時代ですよね
この「ハレンチ学園」の連載が始まったのが1968年だそうですから私は中学生でしたから小学生の筆者より多分夢中になったでしょうね(^^;

昭和本03-3
「小柳ルミ子」「天地真理」「南沙織」がデビューしたのは高校3年生の頃でしたね
私はこの当時から「アイドル」には興味が無かったので大学時代に同じ下宿にいた「小川君」の天地真理好きが信じられませんでした(^^;

昭和本04
この「昭和浪漫図鑑」を書いた「町田忍」という方は私より3歳年上ですから兄と同学年です

昭和本04-2
ですから目次を見ても「昭和のあの頃ぼくたちは小学生だった」よりは実体験に近いですね

昭和本04-3
駄菓子屋はあちこちにあり私の小遣いも5円か10円でした・・・ちなみに私が住んでいた地区では駄菓子屋さんに入るときには「も〜し〜」と言っていました(^^;



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2015年08月21日

「海水浴」の思い出

昨夜の「ケンミンショー」では「海なし県」の人たちの海水浴へのあこがれを紹介していましたね・・・番組を見ていると数十年前の海水浴の思い出が蘇ってきました(^^)

・小学校時代の夏休みは当時の一番人気だった「ねずみ島」に当然通いました・・・各小学校で参加者の募集も行っていたのですが私が通っていた「西城山小学校」では大体クラスの4分の1くらいが参加していたのかな?
ネットでは「当時の子供たちはほとんどが参加していた」と紹介しているのもありますがそんなことは無かったですね・・・女房も行ったことはなくクラスで参加していた人も記憶にないと言っているくらいです(^^;

・「ねずみ島」では水泳教室も行われていたのですが普通の海水浴客用の砂浜もありました・・・私の仲間たちは「昇級試験」など受けずに一般用で泳いでいたのでずっと一番の初心者である「丁」のままでしたね

・大波止から船に乗って通ったのですが乗船証は首から下げた木札でしたね、この札の紐の部分に5円玉を何枚も通して持っていくというのが当時のスタイルでした・・・何せバス代は小学生だと5円でしたし「ねずみ島」での売店でも5円か10円でいろいろ販売していましたから5円玉は役に立ったのです(^^;

・町内などの催しで「海水浴」に行く場合はやはり「東望の浜」が多かったのじゃないでしょうか・・・現在はジャスコ東長崎店などがあり当時の面影は全くありませんが

・家族で行く場合は圧倒的に「福田遊園地」が多かったと思います・・・何せ当時は自家用車など無いので移動はバスでしたから自宅から一番近い「福田」が多かったのでしょう

・「福田遊園地」ですから遊具もいろいろあったのですが子供時代の私の一番のお気に入りは「海水プール」でした・・・桟敷もあり海もあったので「海水浴」も楽しめたのですが(^^;

・市内中心部に住んでいた女房が良く行っていたという「高浜」「岳路」の海水浴場には子供の頃には多分訪れたことは無いと思います

・小学生の頃には学校にプールが無かったので夏休みに最初に泳ぎに行くのは海でしたから「日焼け」は大変でしたね・・・夜がつらく扇風機をかけながら寝るのが毎年の恒例でした
中学・高校にはプールがあったので最初にプールである程度体を焼いてから海に行ったのでかなり楽になった記憶があります

・一度だけ宮摺海水浴場に行ったことがあるのですがあそこの浜は「砂」じゃなく「石」なんですよね・・・海に行くまでが滅茶苦茶熱かったのが今でも記憶に残っています

・高校3年生の時に初めて「脇岬」に行きキャンプをしましたっけ

・東京に住んでいた学生時代には一度だけ仲間と「江の島」に泳ぎに行ったことがありますね
防波堤みたいな場所からビーチまで2〜300m泳いだのですが思った以上にきつかったのには愕然としました(゜o゜)・・・やはり健全に過ごした高校時代とは異なり酒とタバコのせいだったのでしょう
一番の思い出はyokoの妹の水着のブラが目の前で外れたことでしょう(^^)

まだまだ思い出は数多くあるのでこの記事はこの先もっと「追記」があるかもしれません(^^;


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2015年04月19日

ビデオの予約録画ができない(゜o゜)

先週から新シリーズが始まった「ブラタモリ」は以前と違い午後7時半からの放送になったのですよね・・・昨日は帰りが午後8時くらいになりそうだったので久しぶりに予約録画をしようと思ったのですが

考えるとテレビ番組を録画すること自体かなり久しぶりですし、ましてや「予約」をするなんて果たして何年ぶりになるのか思い出せないくらい久しぶりですね(^^;

ビデオ
ですからビデオのリモコンを手にしていろいろ操作してみたのですが予約録画のやりかたが全く判りませんでした(T_T)
現在メインで使っているビデオはHDDに録画するようになっていますが購入以来操作するのは女房と娘くらいで私は触ったことが多分一度もないでしょうね・・・しょうがないので女房に頼んで予約録画してもらいました(^^;

ちょっと「ビデオ」の思い出を少し・・・

・最初にビデオを購入したのは結婚してからまもなくの頃でしたが当時はまだ「ベータ」機器もありどちらにしようか考えましたね

・子供が小さい頃は子供用の「アンパンマン」「おかあさんといっしょ」「戦隊物」などを録画していたのはビデオとして販売されていなかったせいもありました

・当時のビデオカセットはコンビニなどでは1本売りでしたからホームセンターなどで3本パックを購入していましたが大体1,000円くらいでしたっけ

・一時はアニメやスポーツ番組など自宅に数百本の録画したビデオがありました・・・子供たちが大きくなった時にほとんどを処分したのですがあまりに量が多かったので自分で「三京クリーンセンター」に捨てに行きましたね

・一時予約録画をするために新聞のテレビ欄にも「Gコード」というのが載っていたのですがいつの間にかなくなっているんですね・・・たぶん私が最後に予約録画したのもこの「Gコード」を使ったのじゃないかな(^^;

・女房はいまだに古いビデオも愛用しているみたいです


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2015年04月09日

何気に学生時代の旧友に電話した・・・

先日書いた「中村小山三」さんが亡くなった記事の続きかな?

記事を書いた後何となく思い出話でも話そうかと遠く岩手に住む旧友のカメに電話してみました・・・最後にあったのはもう30年以上前になるのでしょうが電話で話をするのもかなり久しぶりです

・電話をかけて「カメか?」と言っただけで私だと判ったのはそんな昔のニックネームで呼ぶのもそんなにいないのでしょうね(^^; でもいきなり「『花のもとにて春死なん』の和歌の全文は何といったっけ?」と聞かれたのはちょっとビックリ(゜o゜)
話をするとやはり「小山三」さんが亡くなった話につながっていて「華がある人だったから春に亡くなるのがふさわしい」とのこと 

旧暦
・なるほどなと思いつつ「神社庁暦」で調べると小山三さんが亡くなった4月6日は旧暦の2月18日なんですね・・・「望月のころ」の15日からは少し遅れましたがほとんど西行法師の「願わくば花のもとにて春死なん その如月の望月のころ」でした

・カメは公務員を定年退職した後は自宅である岩手の小さな町のお寺で生臭坊主をやっているのでしょうが話す口ぶりは昔のまま・・・若いころから年寄じみていたので現在も風貌は変わらないでしょうね

・久しぶりに話をしたカメの奥さんのチュンも昔の仲間でホント小さくて可愛いイメージしかないのですが考えてみると彼女も還暦・・・会いたいような会うのが怖いような(^^;

・カメやチュンも含めて当時の仲間たちはいまだに仲が良くて「メーリングリスト」などで近況を知らせてくれているのですが全員「アラカン」・・・みんな元気でたまに飲み会などで集まっているのには感心します

・以前長崎に来たことを記事にした「mori」や「ヨーコ」、さらには時々コメントをくれる「魔血呼」なども一緒の仲間でしたが長い人生の中でわずか3〜4年しか一緒の時を過ごしていないのに忘れ得ない人たちです・・・それに比べると仕事の同僚は10年以上一緒にいても「他人」ですね(^^;

・「他人」といえば「小山三さん」が行きつけだった六本木のスナック「ボコ(だっけな?)」の今で言う「ニューハーフ」ぽかった男性の「他人の関係」の振りは今でも記憶に残っていますね・・・このお店での小山三さんは本名でしたっけ

・このお店では和田アキ子さんや研ナオコさんにもお会いしたことがありましたが和田アキ子さんにお酒をいただいていた先輩の「イケベ」さんはどうしているのかな?

・以前も書きましたが小山三さんに最後に会ったのは品川駅の連絡通路でしたね
私が当時勤務していた会社の同僚と「キオスク」で日本酒を立ち飲みしていた時に後ろから肩を叩かれたのでした・・・あれからもすでに37〜8年経っているのですがいまだにその時の小山三さんの笑顔は忘れられません

・そういえばこの記事を書いている今日4月9日はチュンと同い年だった「ひー子」の命日なんですね・・・以前33回忌の日に記事を書いたことがありますがあれから7年くらい経つのでもう40回忌くらいかな・・・彼女が生きていた期間よりその後が倍くらい長くなっちゃいました(T_T)

なんだか今回はいつも以上にとりとめのない記事になってしまいました(^^;


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