2011年03月27日
玉園町あたりをさるきました
なかなかアップできませんでしたが、先日県立図書館に行ったついでに玉園町あたりをさるきました
長崎歴史文化博物館から一番近くにあるのが「永昌寺」です
正式名称は「瑞光山永昌寺」といって曹洞宗のお寺で「長崎四国八十八ヶ所霊場」のひとつです。
次にあるのが「聖福寺」、興福寺、崇福寺、福済寺と並び長崎四福寺と呼ばれる歴史あるお寺です。
正しくは「万寿山聖福寺」黄檗宗の寺院で開祖は長崎出身の僧「鉄心道胖」、山門には隠元禅師の81歳の筆といわれる「聖福禅寺」の額が掲げられています。
入ってすぐの地蔵堂には「長崎四国八十八ヶ所霊場」の看板がありました。
その隣にある「惜字亭」いわゆる焼却炉で寺内で不要になった経文などを燃やしたそうですが明治以前に作られた煉瓦造りの建造物で「石門」とともに「市指定有形文化財」に指定されています。
とにかくこのお寺もこの「大雄宝殿」や「天王殿」や先ほどの山門が「県指定有形文化財に指定されるなど文化財の宝庫なんです。
でも一番有名なのはこの「じゃがたらお春」の碑でしょうね
その隣にあるのは「勧善寺」、さだまさしさんの小説『解夏』に登場しているそうです。
正式名は「向南山観善寺」といって浄土真宗本願寺派の寺院で境内は平成に入って改築が行われたらしく「聖福寺」とは違いきれいになっています。なお境内の大クスが市指定天然記念物に指定されています。
この通りのお寺が並ぶ側と反対側にあるのが個人の住宅なので案内板はありませんが昔は長崎を代表する料亭だった「迎陽亭」の跡地です。戦前に廃業したそうですがこの「唐船のつなぎ石門」が残っています。
「筑後通り」から俗に言う「小川町の坂」(NBC横の坂)を下っていると途中で「蕎麦とお惣菜」のお店がありました・・・名前は「ブラヴ〜ラ」(本当は平仮名なんですがヴがカタカナでしか出ないのです)、群馬県の「八溝そば」というのを食べさせてくれるお店みたいです。ざる蕎麦+お惣菜2品+鯖鮨2個で600円は安いですね、今度女房と食べに来ましょうか・・・でも店名はパソコンで検索できる名前にすりゃ良かったのにネェ^^;
筑後通りの下の通りは「通り名」が無いのかな?もうひとつ下の通りは「上町通り」なんですが・・・この途中にあるのが日蓮正宗の「広布山正霑寺(しょうでんじ)」です。以前この通りをしょっちゅう車で走っていた頃はもっと古めかしいお寺でしたが現在はビルになっています。
その先にあるのが浄土真宗本願寺派のお寺「瑞雲山西勝寺」です。
ここも平成に大修復工事が行われたので立派になっていますね・・・ここには遠藤周作さんの代表作「沈黙」の主人公フェレイラに関わる「西勝寺文書キリシタンころび証文」という県指定文化財が保管されているそうです(非公開)
ここは先ほど書いた「迎陽亭」へと続く俗称「玉園町の坂(そのまま!)」ですが以前は突き当たりに「玉園幼稚園」がありましたね、無くなって何年になるのかな?
これは「上町地蔵堂」
中に貼っている手書きの案内書によると最初作られたのは昭和2年当時東上町の時代だそうです。
ひとつ下の上町通りの「田中旭榮堂」の近くには「上町大師堂」がありますがこっちは「東中町大師堂」だったそうです。
やっぱり今回も長くなったなぁ・・・
長崎歴史文化博物館から一番近くにあるのが「永昌寺」です
正式名称は「瑞光山永昌寺」といって曹洞宗のお寺で「長崎四国八十八ヶ所霊場」のひとつです。
次にあるのが「聖福寺」、興福寺、崇福寺、福済寺と並び長崎四福寺と呼ばれる歴史あるお寺です。
正しくは「万寿山聖福寺」黄檗宗の寺院で開祖は長崎出身の僧「鉄心道胖」、山門には隠元禅師の81歳の筆といわれる「聖福禅寺」の額が掲げられています。
入ってすぐの地蔵堂には「長崎四国八十八ヶ所霊場」の看板がありました。
その隣にある「惜字亭」いわゆる焼却炉で寺内で不要になった経文などを燃やしたそうですが明治以前に作られた煉瓦造りの建造物で「石門」とともに「市指定有形文化財」に指定されています。
とにかくこのお寺もこの「大雄宝殿」や「天王殿」や先ほどの山門が「県指定有形文化財に指定されるなど文化財の宝庫なんです。
でも一番有名なのはこの「じゃがたらお春」の碑でしょうね
その隣にあるのは「勧善寺」、さだまさしさんの小説『解夏』に登場しているそうです。
正式名は「向南山観善寺」といって浄土真宗本願寺派の寺院で境内は平成に入って改築が行われたらしく「聖福寺」とは違いきれいになっています。なお境内の大クスが市指定天然記念物に指定されています。
この通りのお寺が並ぶ側と反対側にあるのが個人の住宅なので案内板はありませんが昔は長崎を代表する料亭だった「迎陽亭」の跡地です。戦前に廃業したそうですがこの「唐船のつなぎ石門」が残っています。
「筑後通り」から俗に言う「小川町の坂」(NBC横の坂)を下っていると途中で「蕎麦とお惣菜」のお店がありました・・・名前は「ブラヴ〜ラ」(本当は平仮名なんですがヴがカタカナでしか出ないのです)、群馬県の「八溝そば」というのを食べさせてくれるお店みたいです。ざる蕎麦+お惣菜2品+鯖鮨2個で600円は安いですね、今度女房と食べに来ましょうか・・・でも店名はパソコンで検索できる名前にすりゃ良かったのにネェ^^;
筑後通りの下の通りは「通り名」が無いのかな?もうひとつ下の通りは「上町通り」なんですが・・・この途中にあるのが日蓮正宗の「広布山正霑寺(しょうでんじ)」です。以前この通りをしょっちゅう車で走っていた頃はもっと古めかしいお寺でしたが現在はビルになっています。
その先にあるのが浄土真宗本願寺派のお寺「瑞雲山西勝寺」です。
ここも平成に大修復工事が行われたので立派になっていますね・・・ここには遠藤周作さんの代表作「沈黙」の主人公フェレイラに関わる「西勝寺文書キリシタンころび証文」という県指定文化財が保管されているそうです(非公開)
ここは先ほど書いた「迎陽亭」へと続く俗称「玉園町の坂(そのまま!)」ですが以前は突き当たりに「玉園幼稚園」がありましたね、無くなって何年になるのかな?
これは「上町地蔵堂」
中に貼っている手書きの案内書によると最初作られたのは昭和2年当時東上町の時代だそうです。
ひとつ下の上町通りの「田中旭榮堂」の近くには「上町大師堂」がありますがこっちは「東中町大師堂」だったそうです。
やっぱり今回も長くなったなぁ・・・
この記事へのコメント
1. Posted by ぴこぴこ 2011年03月28日 10:38
とてもなつかしく拝見させていただきました。
あれから何十年でしょうか。
お寺も随分と古くなって痛々しいです。
迎陽亭の写真が一番うれしかったです。
この界隈の風情を壊さないで欲しいですね。
あれから何十年でしょうか。
お寺も随分と古くなって痛々しいです。
迎陽亭の写真が一番うれしかったです。
この界隈の風情を壊さないで欲しいですね。
2. Posted by 心づくし 2011年03月31日 08:59
ぴこぴこさん こんにちは(^^)/
> とてもなつかしく拝見させていただきました。
>
> あれから何十年でしょうか。
>
> お寺も随分と古くなって痛々しいです。
>
> 迎陽亭の写真が一番うれしかったです。
>
> この界隈の風情を壊さないで欲しいですね。
コメントありがとうございますm(__)m
私のしょうもない街歩きで郷愁を感じてくださる方が一人でもいると嬉しいですね。
> とてもなつかしく拝見させていただきました。
>
> あれから何十年でしょうか。
>
> お寺も随分と古くなって痛々しいです。
>
> 迎陽亭の写真が一番うれしかったです。
>
> この界隈の風情を壊さないで欲しいですね。
コメントありがとうございますm(__)m
私のしょうもない街歩きで郷愁を感じてくださる方が一人でもいると嬉しいですね。
3. Posted by ハム 2011年03月31日 23:54
私の 旦那さんは玉園幼稚園卒業です。当時 筑後町在住だったらしいです。福済寺は幼い頃の遊び場だったらしく 2人で フラりと散歩したことがあります。懐かしく思い出します。
4. Posted by 心づくし 2011年04月01日 10:40
ハムさん こんにちは
> 私の 旦那さんは玉園幼稚園卒業です。当時 筑後町在住だったらしいです。福済寺は幼い頃の遊び場だったらしく 2人で フラりと散歩したことがあります。懐かしく思い出します。
福済寺は一時期駐車場を借りていたこともありよく寄っていましたが、そのせいで改めて入館料200円払って入る気にはちょっとなれません^^;
> 私の 旦那さんは玉園幼稚園卒業です。当時 筑後町在住だったらしいです。福済寺は幼い頃の遊び場だったらしく 2人で フラりと散歩したことがあります。懐かしく思い出します。
福済寺は一時期駐車場を借りていたこともありよく寄っていましたが、そのせいで改めて入館料200円払って入る気にはちょっとなれません^^;